私が愛したスパイ 追憶のロジャー・ムーア

映画007シリーズでジェームズ・ボンドを演じた俳優はこれまで6人。誰が一番のボンドか、ファンであれば一家言あるだろうが、雛鳥の刷込理論は007ファンにも大抵通用する。当時はロジャー・ムーアの時代で、私はロジャー・ムーア世代。初めて観たムーア作品は第10作『007/私を愛したスパイ』。映画館の大スクリーンで……と言いたいところだが、小さなブラウン管を通してだった。これが007シリーズに惹き込まるきっかけになった。

ロジャー・ムーアは引退後、『007/私を愛したスパイ』を自身作中のベストと語っている。007シリーズでプレタイトル・シークエンスが度肝を抜くアクションを本格披露するようになったのはこの作品から。雪山で美女と過ごしている最中、セイコーの腕時計に本部から指令が届く。スマート・ウォッチの先取りだが、メッセージは液晶画面でなく何故かテープとして打ち出されてくる(今から観れば完全なギャグだ)。ロッジを出たムーアの呑気にふざけたシタリ顔が笑える。

外で待ち構えていたソ連の暗殺部隊がわざわざスキー中に命を狙ってくるが、ロッジで襲えばよかったのにとか、女が酒に毒でも盛ればもっと簡単に済んだはず等、そんな邪推は不要。画面とうまくマッチさせたマーヴィン・ハムリッシュのディスコ調アレンジ『Bond 77』をBGMに逃れるムーア=ボンド。崖からジャンプしたボンドは地面に吸い込まれるように落ちていく。そして静寂の中、パラシュートがバサッと開くとスパイとしてはありえないド派手なユニオン・ジャック柄が広がり、ファンファーレのごとく『ジェームズ・ボンドのテーマ』が鳴り響き(後のロンドン五輪開会式ではエリザベス女王とダニエル・クレイグがこのシーンを見事に再現)、ムーアが一番のお気に入りだというカーリー・サイモンの『Nobody Does It Better』が流れる。

中盤の見所はカー・チェイス。ロジャー・ムーアの運転する白いロータス・エスプリがバイク、車、そしてヘリコプターの追撃を受ける。ヘリを操るのは敵ボスのお色気担当秘書ナオミ。大きな瞳をウインクさせると、ムーア=ボンドは首を傾ける会釈で応える。命を狙われている最中でも、シリアスさを中和するクッション的なカットが挿入される。

元祖であり教祖でもあるショーン・コネリーからシリーズに入った古くからの007信者にとっては、ロジャー・ムーア版はコミカル過ぎて、その耐えられない軽さに批判が集中した。ムーアもそれは重々承知で、こう反論している。世界中に顔や名前が知られたスパイなんているのかと。つまり007シリーズは初めから虚構の世界。リアリズムを追求するほど誰も観に来ない地味な映画になる。だったら開き直って娯楽の道を徹底追求しようと考えた。

サブマリン・モードのロータス・エスプリが海面から姿を現し、ムーアが魚をつまみ出す場面がある。防水仕様のエスプリに魚が入り込む隙間はなく、本来は辻褄が合わない。変だと文句をつけたプロデューサーに、ムーアはこの方が「映画らしい」と主張。結局、魚なしと有りの2バージョンの試写が行われ、笑いをとった後者が採用された。どうすれば観客がもっと喜んでくれるか。そう考え続けた上に出した答えがムーア版007映画として出来あがった訳だ。

ロジャー・ムーア版007映画がコミカルで軽くなった理由は、まだある。それはムーア自身がユーモア好きでコミカルな人物だったからだ。台本は本人の性格を反映している。本番でわざとズボンをずり落としてみせたり、脚本を書き換えて共演者にニセの台詞を言わせたり……。彼のいたずら好きは有名で、スタッフも用心するようになったが、場を和ませようというムーアの配慮があった。ムーアほど「素」で演じる、裏表のないハリウッド・スターは珍しかったのではないだろうか。ある意味、ロジャー・ムーアは007映画の中でもロジャー・ムーアを演じていたのかもしれない。

そして人格者としても知られるロジャー・ムーア。007シリーズ勇退後は亡くなるまでの26年間、ユニセフ親善大使を務めた。無償で世界の子供達を訪ね続けた。ジェームズ・ボンドを演じていた頃、現実世界の問題から目を背けていた自分に気がついたという。007映画の撮影でスターとして滞在したロケ地に親善大使の立場で再訪問。同じ街にも光と陰がある現実を知る。一人ひとりの世話を直接することはもちろんできないが、ボンド俳優としての知名度を活用。世界に子供への支援の必要性を訴えかけた。映画の中では人類を大量殺戮の危機から救っていたが、現実の世界でも苦しむ子供たちを助けるヒーローだった。

大英帝国勲章KBEを女王陛下から授かり、「サー」の称号を得たのもこの人道活動が評価された結果だ。ユニセフ活動のきっかけは友人からの誘いだったが、思いやりの心は彼の幼少時代にルーツがある。ある時、ロジャーの母がこう言った。「靴が無いと私は泣いていた……足の無い人に会うまでは」。自分への戒めと他者への慈愛はこうした家庭環境で育まれたのだろう。

初めてロジャー・ムーアに会えたのも、ユニセフが主催したチャリティー・ディナー。少年だった私は既に中年。しかし、目の前に姿を現したロジャー・ムーアはあの『007/私を愛したスパイ』と同じくダブルのタキシードを着こなしていた。正に映画の中のジェームズ・ボンドそのままだった。

途中でゲストのシャーリー・バッシーが立ち上がり一曲披露。ムーアはその後、出席者にユニセフへの協力を訴えた。回される募金箱に皆それなりの金額を入れていたが、ここで困ってしまった。現金の持ち合わせがほとんどなかった。鞄を紛失するというトラブルのおかげで、タキシードに財布を入れないまま慌てて会場へ向かってしまったのだ。ムーア直々のリクエストに応えられなかったのは残念でならない。

ディナー中には競売もあり、やはりゲスト参加のブロッコリ・ファミリーがパインウッドでの007映画撮影見学の権利などを出品していた。財布があったとしても、ここで全額使ってしまい、寄付どころではなくなっていたかもしれない。

宴は夜遅くにお開きとなったが、ロジャー・ムーアはまだ会場の片隅に残っていた。他のゲストはいなくなり、スタッフが後片付けを始めていたが、二人のおしゃべりなファンにつかまってしまい、長々と立ち話していたのだ。既にそれなりの年齢で、体力的にもキツかったはず。嫌な顔もせず真摯にファン対応する紳士。これこそ、私が愛したスパイ。彼らの話が終わるのを待っていたが、あまりの長話に耐えきれず、無礼を詫びつつ割り込んでロジャー・ムーアに話しかけた。短い挨拶だけだったが、最後に「Thank you very much」と言ってもらえたのは、今でも良き想い出である。