『Bond 25』改め『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』の撮影が終了した。これまでに明らかになった情報を統合すると、本作はシリーズ最高のドラマチックなストーリー展開を迎えるだろう。

まず話の流れとして、本作は『007/スペクター』からの直結的な続編になる。これは、レア・セドゥの演じるマドレーヌ・スワンが再登場することからも明白。007シリーズに於いて、メインのボンド・ガールが別作品に同役で姿を現すのは史上初となる画期的な出来事。クレイグ=ボンド作品以前は、ボンドが命懸けで救ったはずの女性が、次の映画では存在が掻き消されていた。悪く言えば、ボンド・ガールは使い捨てだった訳だ。しかし、同じボンド・ガールが2作に渡って登場することで、当然ながらドラマの奥行きは広がる。

『007/スペクター』のエンディングは『女王陛下の007』を彷彿とさせる。この点から第25作は冒頭でスワンが死ぬのではないかと予測するファンも少なくなかったはず。実際、ロケ地発の情報によって、アストンマーティンDB5に乗るボンドとマドレーヌは冒頭に近いシーンで敵に襲われることが判明した。『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』は時系列で言えば『007/スペクター』から5年後の世界を描くらしいが、本作の途中でボンドとマドレーヌが何らかの別れをした直後、一気に時間が経過するのではないか。

その生死はともかく、どうやらマドレーヌ・スワンは本作でもかなり存在感のある役どころになりそうだ。撮影前には、マドレーヌの役柄を本作で掘り下げたいとの意向をキャリー・フクナガ監督が示していた。プレスリリースのキャスト順では、レア・セドゥが女優陣の筆頭になっている。基本的にはトップにクレジットされる女優がメイン(本命)のボンド・ガールだ。アナ・デ・アルマスの演じるパロマは、私情に突き動かされるエージェントの役どころのようだが、より小さな役割に納まりそうだ。

ユニークな存在がノルウェー・ロケで目撃された少女。敵に襲われ逃げ惑うシーンを撮影した。この少女、どうやらマドレーヌに関係があるらしい。マドレーヌ幼少時代の回想か、あるいは娘か。敵の新技術は遺伝子を操っているらしいので、マドレーヌのクローンという可能性も捨て切れない。007映画に幼い俳優が出るのは珍しい。本筋に絡む役柄となればシリーズ初の子役だ。子供に焦点を当てる程、どうしても家族が話に絡んでくる。つまり、必然的にドラマが深くなる。ただしクローン技術を使うとすれば、描き方次第ではSF色が濃くなり、企業による水資源の支配や通信傍受など、今そこにある現実問題を扱ってきたクレイグ=ボンド・シリーズには合わないかもしれない。

また、本作ではボンドによるお宅訪問によって、Qのプライベートな部分がシリーズで初めて描かれることになりそうだ。これもフクナガ監督の意向かもしれない。同監督は映画『ジェーン・エア』を撮る際にジュディ・デンチなど理想のキャスティングを実現できたが、唯一叶わなかったのがベン・ウィショーの出演だったと語っている。満を持して迎えることになったウィショー=Qをフクナガ監督はどう料理してくれるか。キャラクターの深掘りを歓迎したい。

ブロフェルド役は『007は二度死ぬ』で顔を披露して以降、毎作別の俳優が演じていたが、『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』では初めて同じ俳優が続投する模様だ。これによって、クレイグ=ボンド・シリーズでは、M、Q、マネーペニー、タナー、ライター、ブロフェルドと、全ての主要キャラクターが同じ俳優により演じられることになった。これだけの面子が一作品中に会するのもシリーズ初。観客としても違和感なく感情移入しやすいし、一貫性は重要だ。なお、この他に過去作品から複数の俳優がカメオ出演するとの情報もある。

本作での大きな話題は、何と言っても新007の登場だろう。ラシャーナ・リンチの演じるノミが、現役引退のボンドに代わって007のコードネームを襲名するとの噂だ。シリーズ最大級の劇的な展開である。ボンド以外のキャラクターが007を名乗ること自体が衝撃的だが、新007は性別も肌の色も異なることから、一層の注目を集めている。

ラシャーナ採用前には、ルピタ・ニョンゴにオファーが入ったものの、辞退している。女性MI6エージェント登場の噂は以前から出回っていたが、英国女優のラシャーナが決まったことにより、彼女の役が新007に変更されたのかもしれない。新007役をイギリス系俳優が演じることには説得力もあるし、順当な選択と言える。

誰が新007を演じるのであれ、これは長年のファンにとって太陽が西から昇り始めたような常識を覆す事態。ただし、イアン・フレミングの原作『007は二度死ぬ』ではボンドは007のコードネームを失って活動しているし、映画『007/カジノ・ロワイヤル』冒頭のボンドは007の襲名前である。これを考えると、別の誰かが新007になったとしてもおかしくはない。むしろ、半世紀の時を経てようやくここへ辿り着いたかとさえ思える。

本当の問題は、この新007がどこまで活躍するかということだ。本作の主人公は間違いなくダニエル・クレイグの演じるジェームズ・ボンドである。007映画はバディ・ムービーでもチームワーク重視の作品でもなく、自主独往状態のボンドの活躍にスポットライトを当てている。新007が現れたとしても任務中に命を落とすか、そのコードネームを返上し、世界を救えるのはボンドだけ、という結論になるのではないか。過去作にも同僚の00やMI6エージェントは登場しているが、裏切り者であったり、非業の死を遂げるか、大した働きをしていない。「#MeTooの時流に乗って女性エージェントを活躍させてみました」アピールは本作だけに終わり、次回作からは従来のフォーマット通りのボンド・ガールだけが花を添える007映画に戻るのだろう。

なお、女性キャラクターを#MeToo対応型にする旨の方向性は、フクナガ監督やフィービー・ウォーラー=ブリッジが参加するよりも前、ダニー・ボイル監督の時からの既定路線らしい。ノミやパロマだけでなく、ミス・マネーペニーの活躍も示唆されている。

エンディングも気になる。情報リークを恐れて3つのバージョンが撮影されたとの噂も伝えられている。その真偽はともかく、クレイグ=ボンド・シリーズのフィナーレに相応しいシーンになりそうだ。

そこで思い出すのがダニー・ボイル監督のコメント。凄いアイディアがあると意気込んでいた。一説には、ボイル監督がボンドを死なせようとしたが、プロデューサーやダニエル・クレイグが反対、これが監督降板につながったという。逆にボイルがボンドの死に反対したとの正反対の噂も流れたが、ボンドの死を願ったのは小説ファンのボイル監督ではないか。監督はどうやら『007/ロシアより愛をこめて』の小説をベースにした内容を考えていた節がある。フレミングの原作では、ボンドが瀕死の状態でエンディングを迎える。

重要なプロットであれば、監督就任前にプロデューサーから承認を得る必要があったはず。信頼できる有力情報によると、ダニエル・クレイグがボイルのアイディアに賛同。プロデューサーを説き伏せたことになっている。根本的なアイディアの部分で総意が得られたからこそボイルが監督に就任したはずで、彼の降板理由はより細かな意見の衝突にあったと思われる。

ボイル降板後は脚本家が交代したことで、話の筋もガラリと変わったようだ。しかし、ボンドの死と言ったアイディアの一部は、ある程度姿を変えながらも残っているかもしれない。現実世界のクレイグとシンクロさせるかのように、ボンドが最後になって007のコードネームを禅譲し勇退するパターンも考えられる。

仮にボンドが死ぬとした場合、シリーズ物なので後が続かないという危惧は当然出てくる。が、肝心の死ぬ場面をボカすことによって、生きている可能性を匂わすという手法も珍しくないし、やり方次第だ。もっとも、クレイグ=ボンドを本当に死なせてしまっても問題はない。何事もなかったかのように、次回作『Bond 26』で7代目俳優を迎えてジェームズ・ボンドを演じさせればよい。

007シリーズに関して、プロデューサーのマイケル・G・ウィルソン氏が過去に興味深い発言をしている。同氏によると、007シリーズは単一のシリーズではなく、複数のシリーズから構成されるシリーズである。解釈すると、コネリー=ボンド、ムーア=ボンド、ダルトン=ボンド……の各作品群は、それぞれが独立したシリーズであって、直接の連携はないし、その必要もない。

劇中に別のボンド・シリーズでの出来事に触れるシーンが時折見られるが、これは本筋には直接影響しない制作側のお遊び、セルフ・オマージュと呼ぶべきか。ボンド俳優が何度か交代している中でも、M、Q、マネーペニーを同じ俳優が演じ続けていることなどから、各ボンド俳優の演じるシリーズは筋書き的にも時系列的にも繋がっているように映り、ジェームズ・ボンド=コードネーム説も一部で唱えられているが、ウィルソン氏の説明を踏まえても、コードネーム説は現実的な考えではない。

そもそも同じボンド俳優の作品間であっても、筋書きと時系列の繋がりは希薄で、ほとんどないと言ってもいいくらいだ。つまり独立した作品の寄せ集めなのだが、これは映画化の順番が一つの原因になったかもしれない。フレミングの小説シリーズ順に映画化していれば、映画シリーズでも今より連携が深くなっていた可能性はあるが、実際には権利や予算の問題から、小説の順番を無視して映画化がスタートしている。

バラバラになったお陰でストーリーの繋がりと広がりは見られないが、途中のどの作品から観ても話に入っていける利点があり、新規の観客を招き入れやすくなった。現状で25本という作品数を考えれば、このスタイルが正解だったかもしれない。

ただし、クレイグ=ボンド・シリーズは違う。程度の差はあるが、全作が繋がっている。それだけに、クレイグにとって5作目かつ最終作とされる『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』は5作分の集大成になる。ある意味、全編が壮大なクライマックス〜エンディングと言えるだろう。もはや、これを観ないという選択肢はない。


007次回作『Bond 25』はどうなる? シリーズの現状と展望(6)