米国版GQと英国版GQ(2020年3月9日付)は、ダニエル・クレイグの記事を掲載しています。
シングル・マザーのもとで育ったダニエル・クレイグ。母親は18歳で王立演劇学校の入試に合格しますが、学費が捻出できず入学を断念。クレイグが子供の頃、彼女は冷蔵庫にジュディ・デンチの写真を貼っていたそうです。
クレイグは学校でいじめられ成績も良くなかったそうですが、母親に連れられ姉と地元の劇場で観劇していたそうで、彼自身も14歳の時に演劇に参加。映画館で観た『ブレードランナー』に感銘したことも、俳優を志望するきっかけになったようです。
ロンドンへ移り俳優になったクレイグがバーバラ・ブロッコリと初めて会ったのは2004年4月、キャスティング・ディレクターの葬式で。ブロッコリはその6年前からクレイグに目を付けており、映画『エリザベス』での演技に魅了されていた模様。クレイグはブロッコリからミーティングに誘われます。
クレイグは壁に旧作のポスターが飾られたイオン・プロダクションのオフィスを訪問。当時はまだピアース・ブロスナン降板が正式決定しておらず、ミーティングはジェームズ・ボンド役オーディションではないはずと思い込んでいたとのこと。
しかし会話をする中、クレイグはブロッコリが自分をボンド役者として真剣に推していることが分かり困惑。引き気味のクレイグに、彼女は食い下がったとのこと。クレイグは「イエス」と「ノー」のどちらも明言できないという複雑な心境。自分はボンド役候補だったとパブで愚痴をこぼす老人になりたくない一方、プライバシーを大切にしたいという思いもあったそうです。
そしてブロスナンがボンド役から正式降板。クレイグは『007/カジノ・ロワイヤル』の台本を要求しますが、その内容は素晴らしく、断れる口実が作れないことに。別の日のミーティングではわざとだらしのない服装で参加。しかしブロッコリ曰く、クレイグが現れた瞬間、彼がボンド役をやりたがっていることを悟ったとのこと。
結局、クレイグはボンド役を引き受けることに。スタジオ側はスクリーン・テストを要求。恒例となっている『007/ロシアより愛をこめて』のベッドシーンを演じます。ブドウを口に入れるよう指示を出したマーティン・キャンベル監督に対し「ノー。あんたがやれ」と断り口論になったのだそうで、クレイグはその時の自分は傲慢だったと振り返ります。
クレイグのボンド役就任がニュースになると、一部のファンからは反対運動が。クレイグは母親に電話し「自分はジェームズ・ボンドになれるかな?」と尋ねたのだそう。
映画は完成し、ワールド・プレミアには女王陛下も臨席。上映が始まるとしばらくして観客の間から笑い声が。クレイグは「まずい」と思い、パニックになったのだとか。今回のインタビューをニューヨークで受けたクレイグはその時を思い出し、泣き出したのだそう。彼にとっては、相当な重圧だったようです。
『007/カジノ・ロワイヤル』後にクレイグは、007映画の方向性についてビジョンを持ったとのこと。「愛情」「悲劇」「喪失」を大きなテーマにしたいと考えたそうです。実際に彼はこれを『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』で採用。
ボンド役を引き受ける際の条件で、クレイグはある程度のクリエイティヴ・コントロールを得たとのこと。特に『007/慰めの報酬』制作後は、全てをコントロールしたいとの欲求が強くなったそうです。
『007/慰めの報酬』では肩を故障。続く『007/スカイフォール』でふくらはぎを痛め撮影中にプールでリハビリ。『007/スペクター』ではデイヴ・バウティスタとのアクションで膝を負傷。それ以降はギプスを当てながら撮影し、編集で隠しています。
『007/スペクター』撮影終了から2日後に受けたインタビューでは、次回作を今考えるのなら手首を切った方がマシだと答え、これがボンド役降板宣言と受けとめられます。クレイグは、制作を終えた直後に作品の宣伝に回るのは好きではなく、戸惑ったとのこと。また、体力的な限界を感じており、その時点ではもう1作やろうという気がしなかったそうです。
『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』のダニー・ボイル監督降板について、クレイグは「ダニーのアイディアではうまくいかなかった」とコメント。ボイルの関わった脚本は少なくとも4バージョンが存在。
以前の作品では脚本などにあまり口を挟まないよう心がけていたそうですが、『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』では深く関与したようで、ミーティングでは熱くなり強い態度を示し、無礼に振る舞うこともあったのだそう。
脚本家としても関わったキャリー・フクナガ監督の話では、クレイグがボンドの台詞全てを提案したとのこと。
『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』でクレイグがボンドとして最後の場面を撮り終えたのは10月の夜。パインウッド・スタジオの屋外でのチェイス・シーンだったそうです。本来はこれをジャマイカで撮影予定でしたが、クレイグが足を負傷したため後回しになり、撮影場所も変更になりました。
深夜の撮影でしたが、多くのスタッフは帰らずクレイグの最後を見届けることに。感傷的になり、撮影を締めくくるスピーチはうまく言えなかったようです。
クランクアップ後、ニューヨークに戻っていたクレイグは、アフレコの為にロンドンのソーホーにあるスタジオへ。セキュリティ上の制約があり、映画を入れたドライブのコピーは1点か2点しかないとのこと。
そこでクレイグは初めて編集された『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』をチェック(音楽や特殊効果は未完成状態)。誰かを招待することもできたそうですが、自分一人だけで観ることを選んだとのこと。クレイグは同作の出来具合に満足げです。