コロナ禍で劇場公開が2度延期となっている映画『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』。制作開始前からの発表分を含めると、既に4度も延期されていることになる。公開日が近づいたと思ったら、また遠ざかる……。砂漠に出現するオアシスの蜃気楼状態だ。もはやこの映画が本当に存在するのか疑わしくなるが、一体いつになったら観客の渇きを癒してくれるのか。
2020年4月に予定されていた世界公開は、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の世界的流行を背景に、その前月に延期が発表。イギリスでは11月12日、日米は11月20日と新たに設定された。この新日程も10月に入ると、2021年4月への延期が発表されている。
現時点でイオン・プロダクションから発表されている具体的な公開の日付は2021年4月2日。これが曖昧で、どの国の日付なのか触れていないが、4月2日はアメリカ公開日を指しているものと思われる。一部ヨーロッパ諸国では現地配給会社が3月31日と発表。本国イギリスはこれよりさらに早い可能性が考えられる。日本に至っては、2021年としか発表されていない。確定した日付がまた変更になるのを恐れて、成り行きを見守っているのだろうか。
残念ながら『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』の2021年4月公開が実現すると考えるのは、希望的観測と言わざるを得ない。2月までにコロナウィルスが地球上から忽然と姿を消すのなら話は別だが。ヨーロッパ、アメリカ、そして日本でもCOVID-19流行は収束へ向かうどころか、大波が到来中だ。これから冬を迎える北半球の状況は今後ますます悪化することが予想される。劇場閉鎖、外出禁止令、ロックダウンと言った刺激的な言葉は頻繁に飛び交っている。ワクチンは効果や普及スピード、今後起こりうる副作用など、未知の要素が多すぎる。春先の混迷も必至だ。
この現状を踏まえると、現実的に起こりそうなのは、2021年秋へのさらなる公開延期。「2021年4月」は、次の延期を想定したあくまで暫定的な目標として扱われている可能性がある。英語公式サイトでは最近まで日付「4月2日」がトップに表示されていたが、今は単に「4月」と変更されていることも、延期への布石に思えてくる。
そうであれば、他のハリウッド大作映画のように、2021年夏や秋への延期を初めから設定すれば混乱はより少なくなっていたはずだが、それをしなかったのは4月公開に賭けざるを得ない事情があったのだろう。何せMGMの財政状態が盤石とは言えない。2億5千万ドルとも3億ドルとも言われている『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』製作費はローンで捻出。その利子返済だけで毎月100万ドルが必要らしい。2018年末に撮影開始の計画で動き始めたので、これまでの利子総額は2年間で2千万ドル以上か。MGMとしては1ヶ月でも早く公開して全額返済したいはずだ。
007シリーズと切っても切り離せないのが、プロダクト・プレイスメント。『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』でもアストンマーティン、オメガを初め、世界の名だたるブランドが協賛している。007映画のパートナーになったブランドは、その見返りとして広告・宣伝に多額の予算を費やしている。度々の延期によって、商品のプロモーションやローンチのスケジュールが狂い、各社とも頭を抱えている様子が目に浮かぶ。既に発売済みとなった、同作とのタイアップ商品も多い。本来なら映画との相乗効果を最大限に引き上げる為、公開時期に合せる必要があった。なかでもノキアの被害は深刻かもしれない。スマートフォンの世界は日進月歩。『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』が公開されても、劇中モデルが型落ちなら誰も買わないだろう。ブランド各社をいつまでも待たせられない。
しかし、仮に2021年4月公開を強行すれば、『TENET テネット』のような結果が待ち受けるかもしれない。同作は、COVID-19流行の最中にあえて世界各地で劇場公開。日本のように比較的好調な市場もあったが、多くの劇場が閉鎖されていた本国アメリカでは惨憺たる成績となり、2億ドルの予算を費やした同作は赤字になると見込まれている。
『TENET テネット』と同時期に公開されたメジャー大作に、ディズニーの『ムーラン』がある。この映画は地域事情を配慮しつつ、劇場公開と直配信を実施。VODはかなりの売上げが発生したようだ。しかし、グローバル展開の配信サービスを所有していない『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』のMGMやユニバーサルには真似しづらい手法だろう。
MGMがAppleやNetflixと配信交渉を行うも決裂したとの報道があった。MGMは007映画をビジネスとして割り切っていたのかもしれないが、シリーズを生み育んだイオン・プロダクションには愛情とこだわりがある。プロデューサーのバーバラ・ブロッコリが反対したというのも納得だ。単発作品とは違って『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』は半世紀以上の歴史がある007シリーズの一部。良くも悪くも伝統に縛られているので、劇場公開を省いての直配信はできないはず……と思いたい。
もし『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』が地域毎の判断で劇場公開と直配信を行うとすれば、それは2021年秋の劇場公開も危ぶまれる危機的状況が続く場合か、噂されているAppleなどのIT系企業によるMGM買収が決定した時だろう。
勝手な想像はできるが、いま分かっていることはただ一つ。未来の事は誰にも分からない、ということだけだ。