今回からは007シリーズ第26作『Bond 26』がどうなるのか、様々な角度から考えてみたい。
まず、主人公ジェームズ・ボンドを演じる俳優は誰になるのか。
第21作『007/カジノ・ロワイヤル』から第25作『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』までの連続5作は、ダニエル・クレイグがボンドに扮してきたが、この最新作でボンド役からの引退を表明。プロデューサーのバーバラ・ブロッコリは2019年末の時点でも渋っていたが、遂に彼の辞意を受け入れた模様だ。ブロッコリが今後も何らかの形でクレイグを007映画に絡まそうとする可能性は完全に否定できないが、『Bond 26』が新ボンド俳優の襲名披露作となるのは、ほぼ確定だろう。
ボンド俳優が交代するという点において、『Bond 26』は十年に一度クラスの話題作になる。ボンド役の交代は1960年代、70年代、80年代、90年代、2000年代と十年代毎に必ず発生してきた。この流れに沿って2010年代中に7代目への交代が行われていたはずだが、諸事情が重なり、クレイグは歴代最長政権となっている。COVID-19流行が急速に収束、MGMがトラブルを起こさないという条件付きだが、『Bond 26』の公開時期は最短で2024年頃か。その場合は実に18年ぶりの新ボンド登場となる。
クレイグが『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』続投への明確な意思表示を避けている時から今日に至るまで、7代目ボンドの候補者として、多くの有名俳優の名前が報じられている。しかし、これはメディアが憶測・推測をもとに取りあげているだけの、根拠なき候補者だ。もっともらしい候補者は今のところ、後述の俳優を除いて、誰もいない状況にある。
そもそも、イオン・プロダクションが7代目ボンドの選考を本格的に始めているのかハッキリしない。「結婚式当日の花嫁に『次の夫は誰だ?』と尋ねる者はいない」がバーバラ・ブロッコリの口癖だ。ダニエル・クレイグがボンド俳優の座に就いている間は、次の俳優のことを考えたくないし、語りたくもない、ということだ。現役のクレイグに敬意を払いたいという思いがあるのだろう。
とは言っても、007ほどの大作シリーズの制作トップが、最終作の公開を終えるまで次期主演俳優のことを全く考えないということはビジネス的にあり得ない。ブロッコリは常時アンテナを張り巡らせ、映画、テレビ、ウエストエンドで活躍する若手俳優を密かにチェックしているに違いない。
6代目ボンドの選考過程については、興味深い事実が当事者の発言から明らかになっている。ダニエル・クレイグが新ボンドとして正式発表されたのは2005年だが、ブロッコリは1998年に公開された映画『エリザベス』を観てからずっとクレイグを気にかけていたらしい。そして、ピアース・ブロスナンがボンド役を辞めるのかまだ分からない時期、オーディションが始まる前にブロッコリはクレイグをイオン・プロダクション本社へ招き入れ、ボンドになるよう口説き始めている。
もう一人のプロデューサー、マイケル・G・ウィルソンはボンド役候補者の人数を200人と明らかにしており、オーディションに参加した数人の俳優の名前も明らかになっている。公平な機会とプロセスが用意されたように感じるが、これは恐らく、クレイグをボンド役にさせる為の、全てがブロッコリの仕組んだ出来レースだったのだろう。
『007/カジノ・ロワイヤル』ボンド役のキャスティングは、二人のプロデューサーだけで決められることではなく、マーティン・キャンベル監督やソニー・ピクチャーズ、MGM上層部との合議だった。ブロッコリはクレイグが大勢の俳優の中から選ばれた最優秀者だと関係者全員を納得させるために200人のリストを作り、オーディションも開催したのだろう。クレイグ以外にブロッコリから直接、ボンドになって欲しいと懇願された候補者はいなかったはず。初めから結果は決まっていた訳だ(クレイグがボンドにならない場合に備え、補欠を決めるための手段としてオーディションは必須だったと思われるが)。
そうして6代目ボンドに就任したダニエル・クレイグが主演の007シリーズは莫大な世界興収をあげ、ファンや批評家からの高い支持も得て大成功した。クレイグ本人が多大な貢献を果たしたのは紛れもない事実だが、クレイグを擁立したブロッコリの大功績でもある。つまり、7代目ボンド俳優の選定に関して、もはやブロッコリに口出しできる者はいない。前回以上に、最高権力者としてその力を発揮することになるはずだ。
『007/スペクター』を撮り終えたサム・メンデス監督は、ボンド俳優の選定プロセスを「民主的ではない」と表現している。つまり、世間的に有名で最も人気のある俳優がボンドになる訳ではない。プロデューサーのバーバラ・ブロッコリが選ぶ俳優がボンド役になるのだ。
ではそのブロッコリのお気に入り俳優は誰か? 2017年3月の記事なので些か古い情報になるが、英デイリー・メール紙でコラムニストなどとして活躍しているBaz Bamigboye氏は7代目ボンドに関し、映画会社幹部から直接得たとする情報を披露、ブロッコリは英国俳優ジャック・ヒューストン(38)に夢中だと報じている。『007/カジノ・ロワイヤル』(1967)の監督でM役も演じたジョン・ヒューストンの孫にあたるジャック・ヒューストンは、ブロッコリがプロデュースしたウエストエンドの『Strangers on a Train』(2013)に出演した。この舞台がボンド役オーディションとして機能したかもしれない。
同記事中、注目に値するのはブラック・ボンドに関する記述。ブロッコリはヒューストン同様、黒人俳優の起用についても非常に熱意を持っているらしい。但し、彼女はあくまで優れた俳優を求めており、それがたまたま白人になるかもしれないし、黒人かもしれないとのこと。
ボンド役候補者としてイドリス・エルバの噂が広まって以来、黒人俳優就任の可能性が度々話題となってきた。ブロッコリはこれまでも「肌の色は関係ない」との立場を明らかにしてきたが、差別との批判を受けないための、優等生的な模範解答を述べていた訳ではなかったようだ。多様性や人権問題にも積極的に取り組んでいるブロッコリなら、敢えてブラック・ボンドに挑む可能性は十分に考えられる。
ダニエル・クレイグがボンド役に就任した際も、彼の外見を理由にした激しい抵抗があった。007以外のヒーロー映画なら問題は無かったのだろうが、それまでのジェームズ・ボンドのイメージとはかけ離れていた。『レイヤー・ケーキ』を観たMGM副会長はクレイグをブロッコリに推薦したらしいが、彼はあくまでクレイグを『007/カジノ・ロワイヤル』の悪役に、と考えていたのだそうだ。ブロッコリがクレイグをボンド役に就けることになり、副会長も驚いたことだろう。
反対意見を跳ね除けてクレイグ=ボンド・シリーズを大成功へと導いたブロッコリ。今度はブラック・ボンド登場でさらに世間を驚かせ、一大革命を起こしてくれるかもしれない。
ちなみに、Baz Bamigboye氏はこれまでに007映画に関した精度の高い独自スクープを数々放ってきた。この界隈では信頼できる、要マークの人物である。バーバラ・ブロッコリと親交があり、イオン本社にも招かれている。彼の記事の中には、内部からの意図的リークと思える内容もある。調べてみると、007映画のスクープは少なくとも90年代から書いていたようだ。今後も爆弾級のネタを続々投下してくるだろう。
気になる存在はヘンリー・カヴィル。『007/カジノ・ロワイヤル』の最終オーディションまで残ったが、惜しくも次点となった。マーティン・キャンベル監督は当初ダニエル・クレイグには懐疑的な立場だったことを、後日明かしており、一方のカヴィルを評価していた。
007シリーズでは6人のボンド俳優がいるが、最初の選考でストレートにボンド役に就いたのはショーン・コネリー、ジョージ・レーゼンビー、ダニエル・クレイグの3名。ロジャー・ムーア、ティモシー・ダルトン、ピアース・ブロスナンはボンド役に検討されていたが、実際にボンドになるまでに年月を要した。前者3名は全員30代でボンドになったが、後者3名はボンド・デビュー作の公開時点で40代。プロデューサーが以前から目をつけていた俳優であれば、時間が経過し40歳を過ぎてもボンド役が巡ってくる可能性があるということか。『Bond 26』公開時には40代に突入するカヴィルにとって、これが最後のチャンスになる。
しかし、年齢的には若い30代の俳優が圧倒的に有利だろう。原作のジェームズ・ボンドは基本的に30代後半であり、ダブルオー要員の定年は45歳とされている。映画ビジネス的に考えても、長期シリーズの主人公を演じる俳優が若返ることで、新しく若い観客を呼び込むことが期待できる(日本市場は新規若年層の開拓に失敗、ファン層は高齢化が進み長年低迷している)。デビュー作でボンド俳優が40歳なら、順調に制作・公開が進んでも引退作では50歳を過ぎる恐れがある。
ヘンリー・カヴィルにとって更に不利な点は、有名になり過ぎたことだ。『007/カジノ・ロワイヤル』オーディション時は無名の新人だったが、その後のカヴィルはアメリカを代表するヒーロー、スーパーマンを演じて誰もが知る映画スターに成長した。歴代6人のボンド俳優は、ボンド就任前は誰も映画スターとは呼び難く、名前で観客を劇場へ誘い込めるような存在ではなかった。知名度の低い、色のついていない俳優の方が、観客はボンド役者として受け入れやすい。
また、ビジネス的にはギャラが低く抑えられるという利点がある。007シリーズではボンド就任時は低額、その後は結果次第でギャラを上げているようだが、Aリスト俳優であれば、映画が期待通りのヒットにならなくても、最初から巨額のギャラを支払うことになるだろう。
もっとも、人気映画スターをボンドに起用しようとした動きはこれまでに幾度か見られた。当時既にスターだったケーリー・グラントは、友人のアルバート・R・ブロッコリから第1作のボンド役にオファーされた。グラントも乗り気だったが、複数本契約に難色を示して辞退している。なお、『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』監督のキャリー・ジョージ・フクナガの名は、グラントにちなみ、ファンだった母親が名付けた(日本語表記名は異なるが、英語では同じ“Cary”)。
結局のところ、今の時点では判断材料が乏しく、一体誰が7代目ジェームズ・ボンドになるのか予想し難い。しかし、バーバラ・ブロッコリにはダニエル・クレイグとの輝かしい成功体験がある。ブロッコリは再び、今誰も想像していないような俳優をボンドの座に就けさせ、自らの力で一挙にスターダムへと押し上げ、007映画と共に成長させる……のではないだろうか。これこそが映画プロデューサーの仕事の醍醐味だ。
7代目ボンド俳優は今この星のどこかで、デビューの日を静かに待っている。自分がジェームズ・ボンドになるとも知らずに。その彼の命運を握っているのが、イオン・プロダクションのプロデューサー、バーバラ・ブロッコリなのだ。