タグ別アーカイブ: コラム

『Bond 25』新監督にダニエル・クレイグを

「世界を救えるのは私だけ」と豪語するタキシード姿の男が昔いたが、迷走する『Bond 25』を救えるのは、もはやダニエル・クレイグ本人だけかもしれない。撮影突入まであと3ヶ月という差し迫ったタイミングで、ダニー・ボイルが『Bond 25』の監督を電撃辞任した。こうなってしまうと、新監督にはダニエル・クレイグが就くしかない。

ボイル監督の降板理由については、既に様々な報道がなされている。ボイルとジョン・ホッジが構築した筋書は、ロシアとの現代版冷戦がテーマで、政治色が濃く現実味を帯び過ぎた旨の噂もあり、これをダニエル・クレイグやプロデューサーが嫌ったともされている。そもそも、ジェームズ・ボンドは冷戦構造下の産物。シリーズでは度々ロシア人が敵方として登場しているが、映画版では国家としてのロシアを直接敵視していない。ゲームの良きライバルのような立ち位置である。世界市場に進出する娯楽映画としては賢明な描き方だったが、ボイルは一線を超えてしまったのか。

キャスティングを巡る意見の衝突も原因として伝えられている。ボイルはオーディションを実施し、メインの悪役として国際的知名度の低いポーランド人俳優を希望、しかしダニエル・クレイグがこれに反対した模様だ。ダニー・ボイル監督は、重要な役どころに敢えて新人を起用、その隠れた才能を開花させる得意技を持っている。一方のダニエル・クレイグとプロデューサーは、『007/スカイフォール』(2012)と『007/スペクター』(2015)の2作連続で、世界的に定評のあるオスカー俳優を直接指名し悪役に就かせている。その流れは、恐らく『Bond 25』でも続けたかったのだろう。

『ザ・ビーチ』での失態を後悔しているボイルにとって、脚本内容もそうだろうが、キャスティングは監督として譲れない線だったことに間違いない。『Bond 25』以前に何度か007映画の誘いがあっても断っていたのは、キャスティングなどで自由の効かない大型予算映画を嫌っていたからだ。ボイルはこれについて何度も公の場で発言しており、ダニエル・クレイグやプロデューサーも当然承知していた。ボイルがキャスティングで自分の流儀を通したいことは、監督就任前に両者が膝を突き合わせ理解しているはずだが。『ザ・ビーチ』の二の舞を避けたかったボイルが、撮影開始前に辞任を選んだのはむしろ自然の成り行きに思える。

クレイグに取って欲しかった行動は、ボイルが下す決断のサポートだ。妥協できないのであれば、そもそもボイルを監督に起用すべきではなかった。ボイルには、確立した自分の流儀・拘りのスタイルがある。その監督を評価し起用するからには、世間が支持した監督の流儀も尊重すべきだ。サム・メンデスとダニー・ボイルという二人のオスカー監督と続けて喧嘩別れするクレイグには、監督へのリスペクトと流儀の理解が不足していると思わざるを得ない。

クレイグは『007/スペクター』で初めて「共同プロデューサー」として正式にクレジットされたが、デビュー作『007/カジノ・ロワイヤル』(2006)から既にプロデューサー並みの権限を振るっている。エヴァ・グリーン、マッツ・ミケルセンやメンデス監督の起用、軍艦島の登場、そして英国を象徴するスパイがアメリカン・ブランドのスーツを着用することになったのも、クレイグの趣向である。

歴代のボンド俳優にそこまでの権限はなかったが、何故クレイグは絶大な力を得たのか。話は2005年に遡る。ピアース・ブロスナンをMI6から解雇したプロデューサーは、6代目ジェームズ・ボンドのオーディションを開く。最終選考まで残ったのがダニエル・クレイグとヘンリー・カヴィル。カヴィルの落選理由として真しやかに伝わっているのが「若すぎた」から。確かに当時22歳で、ボンド役にはかなり若い。しかし、実年齢も見た目も若いのは初めから分かりきっていることで、最終選考まで検討する必要性はない。恐らく表向けの理由だろう。何よりも、当初はその年齢設定で撮影する動きが見られた。カヴィル推しのマーティン・キャンベル監督の意見を押しのけたとされるのが、最終権限者のプロデューサー、バーバラ・ブロッコリである。

ブロッコリは役者としてのクレイグ、男としてのクレイグに惚れ込んだ。そこが彼女の弱みで、クレイグにとっては好都合だった。クレイグはオーディション中にボンド役への熱意を示していなかった。仕事の合間に海を越えてわざわざ参加していたからには、やる気があったはずなのだが。いずれにしても、ブロッコリは気乗りしない様子のクレイグを是が非でもボンド役に口説くため、破格の好条件を提示したのだろう。それが主演俳優+プロデューサーに準じる待遇だった訳だ。カヴィルを落選させ、クレイグがボンド役に就任した。そして、ブロッコリは手綱を引き締める立場にあったが、手綱を放してしまった。これが、クレイグが本来進むべき道をはずれ、暴走を始めたきっかけだ。007映画を次々と興行的に成功させたクレイグは、この暴走をさらに加速させている。

クレイグ暴走の一端を垣間見る気がしたのは、『007/スペクター』(2015)時の「手首を切ったほうがマシ」発言と、それに続き、進退を明らかにしない「辞める・辞めない」ゲームを始めた時だ。奇遇だが、ロジャー・ムーアも同様に4作目の出演後、ボンド役からの引退を示唆。続く作品では新ボンド俳優の就任を念頭に脚本執筆が進んだが、最終的にムーアはシリーズに復帰。これ以降も1作毎に態度を明確にしない状況が続いたが、結局ムーアは合計7作でボンド役を演じることになった。

ムーアの時は公開の遅延は起きなかったが、クレイグの場合は大きくずれ込んだ。「辞める・辞めない」ゲームを早期に切り上げれば、2017年か2018年には『Bond 25』を公開。前作で残った課題にも決着をつけ、惜しまれつつも有終の美を飾ってシリーズから勇退できていたはずである。10代の頃には考えたこともなかったが、年を重ね健康を害するうちに、自分はあと何本の007映画が観れるのだろうかという切実な疑問が湧く。その意味でも、クレイグの行動は残念だった。

なお、『Bond 25』はクレイグの最終出演作と捉えられているが、その唯一の信頼できる根拠はテレビ番組に出演したクレイグの「これで最後だと思う」発言であり、制作サイドの発表や発言は出ていない。歴代ボンド俳優のケースでも、事前に今作で引退とは発表されていない。つまり、事情が変化した時のためにドアは開けてある。プロデューサーの為にボンドを演じることを嫌ったショーン・コネリーも、「ネバーアゲイン」と言い放ったが、結局、2度も復帰した。ボンドが死ぬとも噂されている『Bond 25』の筋書にもよるが、クレイグが『Bond 25』後に「辞める・辞めない」ゲームを再開し、続投しつつも公開年を遅らせる可能性はある。「死ぬまでやるからよろしく」と言い直すかもしれない。

もはや、絶対的とも言える権力を掌握したクレイグにとって、納得のできる働きをしてくれる監督はこの星に存在しないのではないか。だとすれば、公開時期の延期も考えざるを得ない状況下にある『Bond 25』で円滑に新監督を務められるのは、クレイグ本人しかいない。クレイグに監督の経験はないが、007映画に関しては制作の流れをどの監督候補よりも熟知している。技術的な細かい点は、旧知のスタッフがサポートしてくれるだろう。クレイグがその気なら、ブロッコリも支持してくれる。「監督=ダニエル・クレイグ、主演=ダニエル・クレイグ、原案=ダニエル・クレイグ」だ。壮大な自主制作映画のようだが、話題性も抜群だ。クレイグ監督作の『Bond 25』が成功すれば「院政」も夢ではない。つまり、ボンド役は引退しても、監督(兼共同プロデューサー)として今後もシリーズに君臨する。

ミスター・クレイグ、あまり時間は残っていないが、一度検討されてみてはいかがだろうか?

007次回作『Bond 25』はどうなる? シリーズの現状と展望(5)

衝撃のニュースが今日(8月22日)舞い込んだ。ダニー・ボイルが『Bond 25』監督から辞任した。ボイルの降板理由を、これまでの『Bond 25』制作準備の流れを振り返りながら考える。

ダニー・ボイル監督就任の道程については既に前回のコラム(4)で触れたが、ボイルの動きはロジャー・ミッチェルのケースにますます酷似してきた。プロデューサーから007映画をオファーされるが一旦は辞退。その後の作品で再オファーが入り監督就任を受諾。プロデューサー御用達であるニール・パーヴィス&ロバート・ウェイド作の脚本を拒否し、自身が指名する脚本家の台本採用を求め、最後は「創造上の相違(creative diferrences)」を理由に辞任を自ら選択。ここまで挙げたのはすべてロジャー・ミッチェルと今回のダニー・ボイルの共通点である。

007シリーズで内定後の監督交代は先例がある。ただ、ボイルの場合は今年5月にその就任がプレスリリースで正式発表され、既に3ヶ月が経過していた。ボイルの監督決定を受け、今年12月に撮影開始、劇場公開も2019年10月にイギリス、11月にアメリカと同時発表されていた。クランクインまであと3ヶ月余という状況での電撃降板は007シリーズでも異例の事態だろう。

この3ヶ月の間の『Bond 25』制作準備の進捗についてだが、ロンドン市内のタワーマンションを舞台に、ボンドが屋上に飛来するアクション・シーンを想定し、撮影交渉が行われていた模様である。海外ロケ地に関しての確かな情報は出回っていないが、脚本に基づいて様々な地域でのロケハンも行われていただろう。

また、非公式ながらもボンド・ガールや悪役のキャスティング情報が飛び交っており、ボイルの指揮下で世界を股にしたオーディションが進んでいたようである。脚本家ジョン・ホッジ以外の主要スタッフとしては、プロダクション・デザイナーにマーク・ティルデスリー、スタント・コーディネーターはオリヴィエ・シュニーデルの就任が伝えられている。

このように準備が進む中、ここへ来て突如ダニー・ボイルが降板を決意したのは何故か。現時点ではその詳細が明らかになっていないため、全くの想像でしかないことを予めお断りしておきたい。

まず、ダニエル・クレイグやプロデューサーとボイルの間でボタンの掛け違いがあったとすれば、最初のきっかけは脚本かもしれない。プロデューサーの指名でニール・パーヴィス&ロバート・ウェイドは早い時点で『Bond 25』脚本を書き上げていた。しかしボイル監督は、ロンドン五輪開会式の演出時に自身が発案したとされる「素晴らしいアイディア」をベースにした盟友ジョン・ホッジの脚本採用を監督就任の条件としてプロデューサーに迫った。

ボイルの提案は斬新な内容で、過去のどの007映画とも異なる作風だったらしい。これをクレイグ&プロデューサー陣が両手を挙げて迎え入れたのか、妥協の産物としてしぶしぶ容認したのかは気になるところだ。いずれにしても、ホッジ脚本を読んだ上でクレイグとプロデューサーはダニー・ボイルの就任を決定したはずで、これについて今さらクレームをつけることはできない。しかし、荒い仕上がりの脚本(若しくは草稿)をベースにプロデューサー陣が承認し監督就任が決定したものの、映画ではつきもののリライト作業が必要となり、その段階で意見の衝突が発生しこじれた可能性はあり得る。

キャスティングに関する意見の相違があったことも十分に考えられる。主要キャストとなる悪役とボンド・ガールのどちらも広く公募にかけていたようだが、だとすれば、有名でない新人俳優をダニー・ボイルが好んで起用する可能性が生じる。ダニエル・クレイグや近年のプロデューサーは、少なくとも悪役には実績ある俳優を就けたいと考えているはずだ。

また、ダニー・ボイルによるスタッフの人選で問題が生じたかもしれない。ボイルは脚本家ジョン・ホッジに加え、プロダクション・デザイナーにマーク・ティルデスリーを据えた。ティルデスリーはホッジ同様、ダニー・ボイル監督作品に繰り返し参加しており、いわゆるボイル組のスタッフ(ロンドン五輪開会式で女王陛下と007の登場を発案しボイルへ提案したのもティルデスリーである)。007シリーズのプロダクション・デザイナーは脚本家同様、プロデューサーの要請で監督よりも先に決まる場合が多く、『Bond 25』でも既にデニス・ガスナーの続投が決まっていた。監督決定前から動いている、007映画の世界観に影響を与えるこの重要人材までも入れ替えたことに対し、プロデューサーらの反発が生じたことも考えられる。

あるいは、007映画が想像以上に厄介なプロジェクトであることに驚き、ボイルは匙を投げてしまったのだろうか。

前述のロジャー・ミッチェルで言えば、自身が指名した脚本家の案がプロデューサーから却下された後、しばらくの間、パーヴィス&ウェイドと新脚本の作成について協議しており、その時点ではまだ監督を続ける可能性もあった。しかし、ミッチェルはアクション映画経験がない自分が007を撮ることに終始不安を抱いており、脚本ができる以前から公開日が設定されていたことについても、準備時間が足りないとして不満だったらしい。後にミッチェルは、十分な時間があれば監督していたとも語っている。

ボイルもアクション主体の映画は未経験。また、ボイルは大ファンだったシリーズ作品である『エイリアン4』の監督オファーを引き受けたが、必要とされるCGの知識が自分にないことを思い知らされ、最終的には降板している。ボイルは、自身初のアクション大作映画『Bond 25』と同時進行で、映画『All You Need Is Love』(仮題)の撮影とポスト・プロダクションにも入っており、両作とも来年の公開日が決まっている中、多忙を極めていたボイルの心労は察するに余り有る。

では、新監督の人選はどうなるか。

ボイルの監督就任直前には、ヤン・ドマンジュを筆頭にデヴィッド・マッケンジーらが候補になっていたが、再度ドマンジュにチャンスが巡ってくるのだろうか。業界記者の情報では、『ミッション:インポッシブル』シリーズの『ローグ・ネイション』と『フォールアウト』で監督を務めたクリストファー・マッカリーが早くも噂になっているようだ。しかし、これはあり得ない。半世紀以上の歴史の中で、007シリーズにはアメリカ人監督不登用の不文律が出来上がった。これがなければ、とっくの昔に007映画大ファンのスピルバーグが監督になっていただろう。万が一、マッカリーが監督に就任すれば、ファンにとっては天地がひっくり返るような出来事になる。藁にもすがる今のクレイグやプロデューサーが、アメリカ人を起用する可能性がゼロとは断言できない怖さはあるが。むしろ、サム・メンデスの再登用やクリストファー・ノーランの方がまだ現実的と言える。

現状の、今年12月にクランクイン、2019年10月にイギリス公開というスケジュールを保つのは厳しそうだ。先週、MGMは投資家との電話会談を開催し『Bond 25』は予定通り公開される旨を発言していた。ボイルの辞意表明は青天の霹靂だったのだろう。イオン・プロダクションやMGMは今頃、大混乱に陥っているはずだ。もし当初のスケジュールで公開するとしたら、ダニエル・クレイグやプロデューサーの意向に逆らわない忖度監督の採用が今すぐ必要になる。拘りの監督が就任するなら、2019年公開はもはや不可能だ。007シリーズはプロデューサーによるプロデューサーの為の映画とも言え、監督の権限が様々な制約を受けていた。ボイル監督の『Bond 25』はシリーズに風穴を空ける斬新な作品になっていたはずだが、それだけに今回の降板は非常に残念である。

そして、惜しむらくは、ダニー・ボイル監督が満足気に語っていた「素晴らしいアイディア」。このアイディアを元に展開されたジョン・ホッジ脚本は一体どうなるのか。クレイグやプロデューサーがこれを気に入ったのならば、そのまま生かす可能性はあるが、実際に日の目を見ることはあるのか。それともパーヴィス&ウェイド脚本に立ち戻るのか。双方の脚本をミックスさせるのか。時間をかけて新監督と新しい脚本を作るのか。どう転ぶにしても、ここまで来たのならば拙速に事を進めるのではなく、2020年の公開を目指した丁寧な仕事を制作陣には望みたい。


007次回作『Bond 25』はどうなる? シリーズの現状と展望(1)
007次回作『Bond 25』はどうなる? シリーズの現状と展望(2)
007次回作『Bond 25』はどうなる? シリーズの現状と展望(3)
007次回作『Bond 25』はどうなる? シリーズの現状と展望(4)

007次回作『Bond 25』はどうなる? シリーズの現状と展望(4)

映画007シリーズ第25作、通称『Bond 25』の監督名が2018年5月に公式発表された。ダニー・ボイルである。ここでは、ボイルの『Bond 25』監督就任に至る道程を振り返りつつ、ボイル監督が『Bond 25』をどう料理するのか考えてみたい。

多忙を理由に断念せざるを得なかったドゥニ・ヴィルヌーヴと、新ボンド俳優起用を希望し将来の就任を虎視眈々と狙うクリストファー・ノーランに代わる『Bond 25』監督候補者として、昨夏から最有力視されていたのが新鋭ヤン・ドマンジュ。

しかしドマンジュに決まらなかった理由は何か。イオン・プロダクションのプロデューサーがドマンジュを推していたものの、MGMが新人監督を敬遠したとの噂が流れた。実際、過去にもイオンとMGMが監督の人選やキャスティングを巡って度々衝突している。最近の例は『007/カジノ・ロワイヤル』(2006)。この時は、MGMが監督にマシュー・ヴォーンを希望。イオン側はヴォーンが経験不足だと難色を示し、当人は希望しつつもヴォーンの監督就任話は流れた。ヴォーンはその後、テレンス・ヤング監督がショーン・コネリーを英国紳士スパイに育てた逸話を基に、『キングスマン』を創り上げている。

業界情報サイトが『Bond 25』監督の有力候補としてダニー・ボイルの名を初めて報じたのは今年2月。この時点でボイル就任は決定しておらず、内々定のような状態がその後もしばらく続いたと思われるが、それにしても意表を突くニュースだった。ボイルは過去作でも監督オファーが入る度に断ったとされ、複数のインタビューで多額の予算を費やす007映画は撮りたくない旨を繰り返し語っていたからだ。

ボイルは『トレインスポッティング』をヒットさせた後、初のメジャー・スタジオ映画となる『ザ・ビーチ』に挑むが、スタジオ側から様々な制約を受けて苦労したようだ。ボイルの誘いを受けたユアン・マクレガーは『スター・ウォーズ』のオファーを断り『ザ・ビーチ』に主演する準備をしていたが、スタジオからのプレッシャーを感じたボイルは、当時既にスターとなっていたレオナルド・ディカプリオを代わりに採用。これをきっかけに、マクレガーとの確執が長年続いた。007シリーズに限らず、自分がコントロールできない大作映画はもう御免だという心境を抱いていた。

プロデューサーが何度断られてもダニー・ボイルを諦めなかったのは、勝利の方程式に拘った為か。前任者サム・メンデス監督の『007/スカイフォール』(2012)は、世界興収11億ドル超の大ヒットを記録した。舞台演出を経験した後で映画界に進出しアカデミー監督賞を受賞。これは007シリーズ監督の中では、メンデスとボイルの二人のみに共通する経歴だ。また、どちらも就任以前にダニエル・クレイグと仕事をしている。実質的にプロデューサーの一員として活動しているクレイグの意向は、強く働いたはずである。

それにしても、長く渋り続けていたボイルが俄然やる気を出したのは何故だろう。ヤン・ドマンジュ採用計画が暗礁に乗り上げ、猶予のないプロデューサーやダニエル・クレイグがボイルに断りきれない好条件を土産に再オファーしたのか。

そもそもダニー・ボイルは007シリーズが嫌いではない。寧ろファンと呼ぶべきかもしれない。過去には、007映画は大好きで、子供の頃からフレミングの原作に興奮し何度も読み返した旨を語っている。『トレインスポッティング』では初代M役俳優バーナード・リーの孫であるジョニー・リー・ミラーを出演させ、ショーン・コネリーのファンを演じさせているし(ただし原作にも同様の設定がある)、エンディング曲でもコネリーの007作品が歌詞になっている。『スラムドッグ$ミリオネア』ではショーン・コネリーの名を台詞に使うなど、ファンを窺わせる演出が見え隠れしている。『サンシャイン2057』のミシェル・ヨー起用は、ボイルが『007/トゥモロー・ネバー・ダイ』(1997)を観て気に入ったからのようだ。そして2012年には、ロンドン・オリンピック開会式で芸術監督に就任し、女王陛下と007の共演を演出している。

ダニー・ボイルはイギリス生まれだが、両親はアイルランド出身。政治思想を父親から受け継いでおり、共和制支持者。その彼が女王陛下の演出を手がけてイギリス国民を鼓舞、五輪を大成功へと導いたのはなんとも皮肉。この功績を背景に、ボイルは「サー」の称号が得られる爵位を王室側からオファーされたらしいが、それを辞退。反骨の人でもある。

ボイルは、開会式演出時に007映画の「素晴らしいアイディア」を考えついたとされる。この構想を発展させ、ジョン・ホッジが脚本を執筆開始。プロデューサーがホッジ脚本を承認・採用してくれるのならボイルは監督に正式就任、却下された場合、ボイルはプロデューサーお抱えのニール・パーヴィス&ロバート・ウェイドが既に書き上げていた脚本を使うことなく、プロジェクトから退く腹づもりだったようだ。

この一連の動きは、『007/慰めの報酬』(2008)でのロジャー・ミッチェルの件に類似している。ミッチェルは、プロデューサーから早期に『007/カジノ・ロワイヤル』の監督を誘われていたが辞退。その後、続編『007/慰めの報酬』監督の話が入り承諾、一時期は内定状態にあった。パーヴィス&ウェイドは2005年から『007/慰めの報酬』の脚本に取り掛かっていたものの、ミッチェルは彼らのストーリーを断り、自身が指名する新脚本家に書かせた。ボイルと違う点は、自分の選んだ脚本家の案がプロデューサーから却下されたことだった。最終的にミッチェルは自らの意思で同作の監督を降板している。

しかしボイルの場合は、自分の「アイディア」と相当なフリーハンドをもって『Bond 25』をコントロールできる力が得られたはずだ。つまり、ボイルは自分の思い通りの007映画を作ることが可能になった。だからこそ満を持して監督に就任したのだろう。

自信をもって挑むボイル作品では、かつてないユニークなドラマ展開が期待できる。原作に拘りがあるボイルなら、例えば、洗脳されたボンドがMI6に牙を剥くといった筋書があってもおかしくない。『007/スペクター』(2015)後半のシーンではボンドが一時気を失うが、実はそれ以降の出来事は全て夢物語で、『Bond 25』は正気に戻る場面からスタート、マドレーヌ・スワンが実父ブロフェルドの復讐を手伝いボンドを拷問する……といった思い切った内容を観てみたい。ボイル作品で多用される一人称ナレーションは、007シリーズにはこれまで一度も使われていないが、こんなシーンでなら似合いそうだ。

ボンド・ガール等のキャスティングでも、ボイルの才能が遺憾なく発揮されるだろう。彼は特に新人の発掘に長けている。『トレインスポッティング』のケリー・マクドナルド、『スラムドッグ$ミリオネア』のフリーダ・ピントはオーディションでボイルに見出されるまでは演技の素人だった。大作のスタジオ映画でこういった冒険は難しいだろうが、信任されたボイルであれば『Bond 25』でも我流を通せるかもしれない。ちなみに007シリーズでは、演技経験の浅い女優がボンド・ガールを演じるケースは少なくない。

お気に入りの俳優を幾度も起用する監督は少なくないが、ボイルもその一人だ。ボイル作品に複数回出演してきた有名俳優としては、ユアン・マクレガー、ロバート・カーライル、キリアン・マーフィーなどがいる。今のところ1作だけだがジョン・マカヴォイ、マーク・ストロング、マイケル・ファスベンダー、舞台ではベネディクト・カンバーバッチといった人気俳優も出演しており、このうちの誰かが『Bond 25』でも顔を出すかもしれない。『28日後…』の主演女優ナオミ・ハリスは、ボイルの舞台にも出演。これがメンデス監督の目に留まり、『007/スカイフォール』(2012)でマネーペニー役を掴んでいる。

主題歌も007映画を構成する上で重要な要素。多くの作品ではプロデューサーが歌手を選んでいるが、メンデスのようにボイルも人選を任されるかもしれない。メンデス監督の2作品はアカデミー歌曲賞を受賞しており、『Bond 25』を担当する歌手への期待とプレッシャーは否応なしに高まる。

現時点で誰が起用されるのか全く分からないが、エド・シーランがこのレースで一歩前に出ている可能性がある。シーランは007ファンで、既に自主的に007映画向けの楽曲を制作済みだと公言している。そのシーランはダニー・ボイル監督が現在制作のミュージカル映画に出演中。シーランはまたと無い機会として、ボイル監督に自分をアピールしたはず。彼ほどの情熱があるのなら、ミュージカル出演の条件として、抱き合わせで『Bond 25』での採用を迫ったとしてもおかしくない。

また、これまでに007映画への意欲を度々示してきたノエル・ギャラガーにも分がありそうだ。彼も頼まれもせず、007映画に合うとされる楽曲をポール・ウェラーと共同制作していた。ボイル監督はオアシスの音楽が好みらしく『トレインスポッティング』で彼らの楽曲を使う計画があった。結果的にメンバーのギャラガーはタイトルの言葉の意味を素直に受け取り、鉄道マニア(=trainspotting)の映画と勘違いして申し出を断ったらしいのだが。ボイルはその後も、別の映画でギャラガーに楽曲の依頼を検討していたという。『Bond 25』は三度目の正直となるか。

007シリーズで連続5作のスコアを担当したデヴィッド・アーノルドの復帰もあるかもしれない。アーノルドはボイル監督『普通じゃない』のスコアを手がけている。前2作はメンデス監督の指名でトーマス・ニューマンが担当したが、ベテランのアーノルドならプロデューサーも歓迎だろう。しかし、より現実味があるアーティストはアンダーワールドか。『トレインスポッティング』で彼らの楽曲が利用されて以来、ボイル作品で何度か使われているし、スコアも手がけた。五輪では音楽監督にも就任し、ボイルと共に仕事をしている。

最後になるが、主人公ジェームズ・ボンドを演じるダニエル・クレイグの挙動に注目している。俳優の枠を超えて、名実共にプロデューサーとしても活躍しているクレイグ。制作にも口を出す俳優だ。監督にとってのクレイグは、会社で例えると部下でもあり経営陣の一人でもあるような複雑な立場といったところか。俳優兼プロデューサーはハリウッドで珍しくないが、ボイルにとって恐らく初めての対応になるはず。両者が真剣になるほど様々な場面で意見の衝突が起こるだろうが、実際のところボイル監督はどこまで『Bond 25』の舵を取れるだろうか。いずれにしても、その航海が待ち遠しいことに間違いない。


007次回作『Bond 25』はどうなる? シリーズの現状と展望(1)
007次回作『Bond 25』はどうなる? シリーズの現状と展望(2)
007次回作『Bond 25』はどうなる? シリーズの現状と展望(3)

007次回作『Bond 25』はどうなる? シリーズの現状と展望(3)

2017年7月。満を持して初の『Bond 25』公式発表があった。2019年11月8日のアメリカ公開が決定した。ただ、配給会社は後日の発表になるという。通常は公開日を決める立場の配給会社が未決定のまま、日程が独り歩きするのは驚きだった。実際には、MGMは既に決めているのだろうと想像していたが、どうやら状況は違っていたようだ。

映画007シリーズにとって、制作会社イオン・プロダクションが守護者なら、MGMは残念ながらアキレス腱と言える。映画007シリーズの権利はイオンが半分所有しているが、もう半分を持つMGMが問題を抱え続けている。MGMは製作・配給の役目を担当しているが、売却・買収が度々続き、その経営は安定していない。

007シリーズは初期は毎年、1960年代後期からは1年おきで製作されている。しかし、そのペースが大きく乱れた時期がある。具体的な例としては、第16作公開後、第17作が公開されるまでに6年間、第20作・第21作の間と、第22作・第23作の間ではそれぞれ4年間の空白期間が生じている。いずれもMGMの経営(者)が起因で大きな影響を与えた。

海外市場の劇場配給会社もMGM側の事情でかなりの変遷を経ている。日本ではユナイト、UIP(旧CIC)、フォックス、ソニーと変わった。『Bond 25』では、また新たな配給会社が選定されそうだが、こうも会社が変わるのは007シリーズにとって大きな損失。米・英など英語圏の地域ではさほど大きな問題には見えないかもしれないが、配給会社が変わり空白期間が生じることで、情報発信が中断してしまっている。

例えば、本家公式サイトやSNSでは日常的に情報が更新されているが、日本公式は『007/スペクター』公開直後に事実上更新が止まった。これ以降、日本向けの情報提供はされていない。インターネット黎明期なら、それでも良かったかも知れない。しかし、今は日々情報を発信し続けないと、降り注ぐ他の情報の下に埋もれてしまい、忘れられてしまうのが現実。あえて飢餓感を煽る宣伝戦略でも実行しているなら話は別だが、発信したくてもできない、発信者不在・オーソリティ不在という現状があるとすれば、それは日本を含めた海外ファンにとっての不幸である。

ダニエル・クレイグ主演の007映画はこれまで4作。この全てをソニー・ピクチャーズがMGMと契約を結び、日本を含めた多くの国々で配給を担当した。同社のような海外配給網を持つ、安定感のあるメジャー・スタジオが以前から007映画の権利を所有して自社配給をしていれば、製作ペースの乱れや、情報発信の中断などの問題も起きなかったのではないか。クレイグは『Bond 25』で最後のボンド役を演じるつもりのようだが、ここはもう一度、一貫性を保つ意味でも、クレイグ=ボンド・シリーズを成功に導いてきた、経験あるソニーに配給を続けてもらいたい。

しかしMGMはそう考えていないらしい。そもそも、ソニーが4作連続で配給できたのも、MGMが一貫性を最重視した訳ではなく、途中で実施された競争入札でソニーがライバル社に競り勝った為である。他社が『007/スカイフォール』と『007/スペクター』を配給する可能性は十分にあった。収益最大化を最優先に追い求めるMGM。一企業としては当然の行動だが、扱う商品がブランド力の高いコンテンツであれば、その扱いは慎重であるべきだ。

そのMGMが次回作『Bond 25』の配給パートナーとして選ぶ会社はどこになるのか。今年報道された信憑性の高い記事が、配給権を狙っている会社の中で最有力としたのはワーナー・ブラザース。他に、ソニー、フォックス、ユニバーサルのメジャー各社とアンナプルナ・ピクチャーズも手を上げた模様。何処に決まるとしても、契約は『Bond 25』の1作のみと伝えられており、その後はMGMの意向でまた変わる可能性がある。

9月の報道では、上記に加え、アップルとアマゾンが新たに配給権争奪戦に加わったらしい。両者とも世界規模の巨大企業だが、旧来の映画会社ではない。ただ、アマゾンは数年前からアマゾン・スタジオを立ち上げ、映画などの映像コンテンツの製作・配給(配信)に乗り出している。初の単独での劇場配給作品も年末に公開が予定されており、ここで007映画がそのラインナップに加われば、一挙ホームランだ。

アップルは後塵を拝しているが、同様に映像製作に乗り出しており、ソニー・ピクチャーズのテレビ部門から経営幹部を引き抜くなどしている。現時点で、大作映画を世界規模で劇場配給する体制が整っているとは思えないが、その資金力をもってすれば、企業買収で一夜にして配給能力を抱えることになるかもしれない。

また、アップルかアマゾンが007シリーズそのものを買収し、テレビ・シリーズ化するなど、従来なかった手法を追加してその著作権をフル活用する可能性も取り沙汰されている。この両者が優良の映像コンテンツを求めている点、そして経営的に余力がある点からも、ありえない話ではない。

ただし、MGMの立場からすると、007シリーズは最大の目玉商品で、断れない程の魅力的なオファーがない限り、易々と手放すことはできないはず。ひょっとすると、アップルやアマゾンがMGM自体を買収する方が手っ取り早いかもしれない。

現在のMGMは独立企業だが、実質的には投資会社などのコントロールを受けている。歴史は繰り返すように、早晩、MGMが売却されるのは避けられない。その時、買収するのは新興勢力のアップルかアマゾンか。老舗メジャーの親会社か。ハリウッド進出を図る中国系企業か。何れにしても『Bond 25』、そしてその後に続く007映画は当面の間、MGMの経営判断に大きく左右され、波乱の歩みを続けることになるのだろう。


007次回作『Bond 25』はどうなる? シリーズの現状と展望(1)
007次回作『Bond 25』はどうなる? シリーズの現状と展望(2)

007次回作『Bond 25』はどうなる? シリーズの現状と展望(2)

長らく続いていたダニエル・クレイグのジェームズ・ボンド役去就問題が遂に片付いた。クレイグは2017年8月に出演したテレビ番組で、次回作『Bond 25』に続投しボンドをもう一度演じると明言した。

クレイグはボンド役を続けるのか辞めるのか……。彼の進退が注目を浴びるきっかけになったのは、Time Out が2015年10月に掲載したインタビュー(実施は同年7月)での「手首を切ったほうがマシ」発言だ。これは、次回作について、“今”考えるとするならばとの枕詞つきで、しばらくの間は007映画から離れていたいとの趣旨が前後の文脈から読み取れるが、この悪名高き発言は事実上の降板宣言と捉えられ独り歩きした。

その後の『007/スペクター』宣伝期間中には「まだ辞めたわけではない」などと、幾つかのインタビューで続投に前向きな発言もあったのだが、「手首」発言の衝撃はあまりにも強過ぎた。2015年末からは長期に渡って沈黙を貫いたことで、結果的にクレイグが自ら降板の噂を広める役割を果たし、疑念を深めたのは否めない。ようやく流れが変わったのは「手首」発言を明確に撤回した2016年10月からで、これ以降はクレイグが続投するとの観測が強まっていた。

そのクレイグは前述の番組の中で、最終的に続投を決めたのは2017年中頃であることを明かしている。が、それよりも遥かに前の時点で、クレイグにはボンド役を辞退する選択肢は残っていなかったかもしれない。

バーバラ・ブロッコリがクレイグの舞台をプロデュースし、イオン・プロダクションが007映画以外の映画やテレビなど様々なプロジェクトに乗り出したり、MGMが2016年初頭を予定していた配給会社の選定を順延させて、3〜4年間隔で製作する方針を打ち出したのも、ダニエル・クレイグ続投が前提の守備体制をとった影響が少なからずあったと思われる。

仮にボンド役を辞するならば、それを言い出す期限は恐らく2016年初め頃だったのではないか。007次回作は劇場収入だけで1作1千億円超の稼ぎが見込まれる一大ビジネス。仮にクレイグが今年になってから「辞める」と言った場合、その影響は計り知れず、大混乱になる。プロデューサーやMGMもクレイグ・シフトを組んで待っていた時間と労苦が無駄になってしまう。

結局、なぜ最終決断が最近まで遅れたのか。当人は、製作側との駆け引きを否定し「個人的」な問題があったとだけ語っている。家族との話し合いが必要だったのか。実際のところ外野には謎だらけだ。

ただ、“現役ボンド俳優”の座に長く留まることは本人に一定のメリットがある。スター・パワーに頼る部分も多かった初期のコネリー時代を除き、007シリーズは基本的にキャラクターの魅力で人気を牽引し成功を収めてきた。つまり、ボンド俳優はボンド役を卒業すると求心力を失ってしまい、007映画以外の主演作ではヒットに恵まれない。肩書きを保ちスポットライトを浴びた状態で『ローガン・ラッキー』や『Kings』などにも出演し、役者としての幅を広げようとするのは理にかなっている。もちろん、これをクレイグが意図していたのかは不明だ。

クレイグ去就問題は各方面に影を落としてきたが、監督の人選もその一つ。本来、監督はいち早く選びたいところ。しかし、クレイグが態度をはっきりさせない限り、監督は決められない。プロデューサーはクレイグの意向を尊重して監督を決めるからだ。もしクレイグが降板するなら、プロデューサーは先に監督を決定し、新監督と共に新しいボンド役を選ぶ流れになっていただろう。

前2作を務めたサム・メンデスは降板の意思を早くに表明した。が、007シリーズでは一旦離れた後で復帰する監督は珍しくない。メンデスがまたその力を発揮する機会は訪れるかもしれない。

現時点で新監督の名は発表されていないが、クレイグが続投を決断した後に、彼の意を汲んだ監督選びが本格化したはずだ。今年7月の業界発情報では、ヤン・ドマンジュを筆頭に、ドゥニ・ヴィルヌーヴ、デヴィッド・マッケンジーらが有力候補者として挙げられている。その後、クレイグはヴィルヌーヴを切望しているとのニュースも入った。クレイグが押すなら、制作側としてそれは無視できない。ヴィルヌーヴはスケジュール上の問題を抱えているとされているが、クレイグやプロデューサーが本当にヴィルヌーヴを求めているならば、既に公式発表された『Bond 25』の北米公開日(2019年11月8日)を延期してまで契約する可能性があるかもしれない。これには前例があり、『007/慰めの報酬』公開日は正式発表後に夏から秋へと延期となった他、『007/スペクター』はメンデス監督の都合に合わせたため、公開日を翌年に変更している。

情報としてはいささか古いが、他にこれまでメディアで報じられた『Bond 25』監督候補者は、ポール・マクギガンやスサンネ・ビアなどがいる。

スサンネ・ビアはトム・ヒドルストン主演のテレビ・シリーズ『The Night Manager』でスパイ・ファンを唸らせたデンマーク出身の女流監督。もし起用されれば007シリーズには異色の人材となるが、アカデミー賞外国語映画賞に輝いた作品の監督も手がけており、近年のドラマ畑監督を使う流れには添っている。

プロデューサーのバーバラ・ブロッコリは女性も含めた映画界の多様化を促進する運動に力を注いでおり、時期はともかく、007シリーズの監督に女性を起用する日が来てもおかしくない。そしてその未来を先取りするかの様なニュースが7月に飛び込んできた。イオン・プロダクションが女性を主人公にしたスパイ・スリラー映画『The Rhythm Section』の制作を発表。主人公ステファニー・パトリックはブレイク・ライヴリーが演じ、女流監督リード・モラーノがメガホンをとる。

現状で注目度は低いが、これは二匹目のドジョウに化ける可能性を秘めている。マーク・バーネル著の原作は4作あり、イオンは新たに女性版007としてシリーズ化を目論んでいるようだ。うまくいけば、007とステファニー・シリーズを交互にリリースさせる魂胆なのか。時間もコストもかかるロケを5カ国に渡って敢行予定とのことで、第1作から潤沢な予算を注ぎ込み、007スタッフを集結させての布陣となりそうだ。

しかし、イオンの新しい試みがうまくいくのかまだ分からない。イオン・プロダクションといえば、007シリーズの制作に特化した会社。半世紀以上の歴史と、親・子・孫の3代に渡って続くファミリー・ビジネスが特徴の、ハリウッド大作を作る独立した映画制作会社としては稀有な存在。このイオンが著作権を握りつつ、代々続くノウハウを基に専門に007映画を作り続けてきたことが、同社成功の秘訣。007シリーズ最大の功労者であったイオンのビジネスが言わば多角経営化することで、屋台骨がぐらつきはしないか。007シリーズの今後にプラスの影響を与えるのか。その行く末が注目される。


007次回作『Bond 25』はどうなる? シリーズの現状と展望(1)

私が愛したスパイ 追憶のロジャー・ムーア

映画007シリーズでジェームズ・ボンドを演じた俳優はこれまで6人。誰が一番のボンドか、ファンであれば一家言あるだろうが、雛鳥の刷込理論は007ファンにも大抵通用する。当時はロジャー・ムーアの時代で、私はロジャー・ムーア世代。初めて観たムーア作品は第10作『007/私を愛したスパイ』。映画館の大スクリーンで……と言いたいところだが、小さなブラウン管を通してだった。これが007シリーズに惹き込まるきっかけになった。

ロジャー・ムーアは引退後、『007/私を愛したスパイ』を自身作中のベストと語っている。007シリーズでプレタイトル・シークエンスが度肝を抜くアクションを本格披露するようになったのはこの作品から。雪山で美女と過ごしている最中、セイコーの腕時計に本部から指令が届く。スマート・ウォッチの先取りだが、メッセージは液晶画面でなく何故かテープとして打ち出されてくる(今から観れば完全なギャグだ)。ロッジを出たムーアの呑気にふざけたシタリ顔が笑える。

外で待ち構えていたソ連の暗殺部隊がわざわざスキー中に命を狙ってくるが、ロッジで襲えばよかったのにとか、女が酒に毒でも盛ればもっと簡単に済んだはず等、そんな邪推は不要。画面とうまくマッチさせたマーヴィン・ハムリッシュのディスコ調アレンジ『Bond 77』をBGMに逃れるムーア=ボンド。崖からジャンプしたボンドは地面に吸い込まれるように落ちていく。そして静寂の中、パラシュートがバサッと開くとスパイとしてはありえないド派手なユニオン・ジャック柄が広がり、ファンファーレのごとく『ジェームズ・ボンドのテーマ』が鳴り響き(後のロンドン五輪開会式ではエリザベス女王とダニエル・クレイグがこのシーンを見事に再現)、ムーアが一番のお気に入りだというカーリー・サイモンの『Nobody Does It Better』が流れる。

中盤の見所はカー・チェイス。ロジャー・ムーアの運転する白いロータス・エスプリがバイク、車、そしてヘリコプターの追撃を受ける。ヘリを操るのは敵ボスのお色気担当秘書ナオミ。大きな瞳をウインクさせると、ムーア=ボンドは首を傾ける会釈で応える。命を狙われている最中でも、シリアスさを中和するクッション的なカットが挿入される。

元祖であり教祖でもあるショーン・コネリーからシリーズに入った古くからの007信者にとっては、ロジャー・ムーア版はコミカル過ぎて、その耐えられない軽さに批判が集中した。ムーアもそれは重々承知で、こう反論している。世界中に顔や名前が知られたスパイなんているのかと。つまり007シリーズは初めから虚構の世界。リアリズムを追求するほど誰も観に来ない地味な映画になる。だったら開き直って娯楽の道を徹底追求しようと考えた。

サブマリン・モードのロータス・エスプリが海面から姿を現し、ムーアが魚をつまみ出す場面がある。防水仕様のエスプリに魚が入り込む隙間はなく、本来は辻褄が合わない。変だと文句をつけたプロデューサーに、ムーアはこの方が「映画らしい」と主張。結局、魚なしと有りの2バージョンの試写が行われ、笑いをとった後者が採用された。どうすれば観客がもっと喜んでくれるか。そう考え続けた上に出した答えがムーア版007映画として出来あがった訳だ。

ロジャー・ムーア版007映画がコミカルで軽くなった理由は、まだある。それはムーア自身がユーモア好きでコミカルな人物だったからだ。台本は本人の性格を反映している。本番でわざとズボンをずり落としてみせたり、脚本を書き換えて共演者にニセの台詞を言わせたり……。彼のいたずら好きは有名で、スタッフも用心するようになったが、場を和ませようというムーアの配慮があった。ムーアほど「素」で演じる、裏表のないハリウッド・スターは珍しかったのではないだろうか。ある意味、ロジャー・ムーアは007映画の中でもロジャー・ムーアを演じていたのかもしれない。

そして人格者としても知られるロジャー・ムーア。007シリーズ勇退後は亡くなるまでの26年間、ユニセフ親善大使を務めた。無償で世界の子供達を訪ね続けた。ジェームズ・ボンドを演じていた頃、現実世界の問題から目を背けていた自分に気がついたという。007映画の撮影でスターとして滞在したロケ地に親善大使の立場で再訪問。同じ街にも光と陰がある現実を知る。一人ひとりの世話を直接することはもちろんできないが、ボンド俳優としての知名度を活用。世界に子供への支援の必要性を訴えかけた。映画の中では人類を大量殺戮の危機から救っていたが、現実の世界でも苦しむ子供たちを助けるヒーローだった。

大英帝国勲章KBEを女王陛下から授かり、「サー」の称号を得たのもこの人道活動が評価された結果だ。ユニセフ活動のきっかけは友人からの誘いだったが、思いやりの心は彼の幼少時代にルーツがある。ある時、ロジャーの母がこう言った。「靴が無いと私は泣いていた……足の無い人に会うまでは」。自分への戒めと他者への慈愛はこうした家庭環境で育まれたのだろう。

初めてロジャー・ムーアに会えたのも、ユニセフが主催したチャリティー・ディナー。少年だった私は既に中年。しかし、目の前に姿を現したロジャー・ムーアはあの『007/私を愛したスパイ』と同じくダブルのタキシードを着こなしていた。正に映画の中のジェームズ・ボンドそのままだった。

途中でゲストのシャーリー・バッシーが立ち上がり一曲披露。ムーアはその後、出席者にユニセフへの協力を訴えた。回される募金箱に皆それなりの金額を入れていたが、ここで困ってしまった。現金の持ち合わせがほとんどなかった。鞄を紛失するというトラブルのおかげで、タキシードに財布を入れないまま慌てて会場へ向かってしまったのだ。ムーア直々のリクエストに応えられなかったのは残念でならない。

ディナー中には競売もあり、やはりゲスト参加のブロッコリ・ファミリーがパインウッドでの007映画撮影見学の権利などを出品していた。財布があったとしても、ここで全額使ってしまい、寄付どころではなくなっていたかもしれない。

宴は夜遅くにお開きとなったが、ロジャー・ムーアはまだ会場の片隅に残っていた。他のゲストはいなくなり、スタッフが後片付けを始めていたが、二人のおしゃべりなファンにつかまってしまい、長々と立ち話していたのだ。既にそれなりの年齢で、体力的にもキツかったはず。嫌な顔もせず真摯にファン対応する紳士。これこそ、私が愛したスパイ。彼らの話が終わるのを待っていたが、あまりの長話に耐えきれず、無礼を詫びつつ割り込んでロジャー・ムーアに話しかけた。短い挨拶だけだったが、最後に「Thank you very much」と言ってもらえたのは、今でも良き想い出である。

007次回作『Bond 25』はどうなる? シリーズの現状と展望(1)

『007/スペクター』の英国公開から間もなく一年。今ここで007シリーズが置かれている現状を整理し、その今後も占って見たい。

この一年、メディアを賑わせてきたのは、シリーズ次回作『Bond 25』(第25作)でジェームズ・ボンドを演じる俳優が誰になるのかという話題。事の発端は Time Out が掲載したインタビュー記事だった。これまで4作でボンド役を演じてきたダニエル・クレイグが、次回作のことを今考えるのなら「手首を切ったほうがマシだ」と発言。これが事実上の降板表明と捉えられ、次のボンド役は誰なのかと騒がれ始めた。この発言は果たしてどこまでがクレイグの本心だったのか。本人のみぞ知るところだが(或いは自身でも分からなくなっていたのか…)、共演者も擁護していたように、心身ともに疲れ切った長期間に及ぶ撮影が終了した直後のインタビューであり、当時は頭を空にして休息したいという思いが支配的だったのだろう。

プロデューサーがダニエル・クレイグ続投を望む声は直接何度もメディアに取り上げられてきているものの、クレイグは前述の発言から一年を過ぎた今もボンド役を続投するか降板するのか態度を表明していないが、それは何故か(2015年の時点でクレイグはもう1作の出演契約が残っていることを語っていたのだが、2016年に入ったプロデューサー、マイケル・G・ウィルソンはクレイグとの契約はないと発言した。『Bond 25』のオプション契約が2015年内で期限切れになり、仕切り直しが必要となった可能性がある)。クレイグと制作側は良好な関係を継続していた模様で、クレイグが契約条件を釣り上げるため、サインを先延ばしにしているとは考えにくい。クレイグは降板の決意を早期に制作側へ伝えたが、引き留めたいプロデューサーらが説得に時間をかけてクレイグの心変わりを待っているのだろうか。

クレイグがもし既に降板を決めたすれば、その原因は「家族」かもしれない。クレイグの妻で女優のレイチェル・ワイズがボンド役に難色を示していることが伝えられている。クレイグは映画『ミケランジェロ・プロジェクト』をワイズの意向で降りたことが以前明らかとなったが、より大規模な007映画の撮影は約半年間。プリプロダクションやプロモーションも含めると、束縛期間は世界各地で長期に及ぶ。クレイグはワイズの映画撮影時、海外のロケ地へ出向いて幾度となく付き添っているが、二人の時間を重視する夫妻にとって、007映画への出演は大きな「障害」と言えなくもない。『007/スペクター』ではクレイグが足を負傷し手術を受けた。50歳近いクレイグがアクション映画に出演することへの不安も妻にはあるようだ。

ダニエル・クレイグがボンド役を辞めたとして、誰が七代目ジェームズ・ボンドを襲名するのか。これまでに有力候補者として挙げられているのは、トム・ヒドルストンやエイダン・ターナーら。留意すべきは、現状で時期ボンド役候補者について名前を具体的に報じているのは、タブロイド紙である点。自ずとその信憑性には疑問符が付く。一般メディアでもニュースとして取り上げているが、これらは基本的にタブロイドの後追い記事に過ぎない。クレイグに2作6800万ポンドの続投オファーと報じ話題を振りまいた件も、出所は英タブロイドの Daily Mail。同紙は一時期007映画に関して精度の高い独占スクープを量産していたが、当該記事は実績ある記者とは別人が書いたものだ。とは言え、タブロイド発の嘘のように思えるニュースが実は事実だった、ということもある。クレイグを選出した『007/カジノ・ロワイヤル』ではボンド役候補者リストに200人の俳優の名が連なっていたという。イギリスで活躍する30代男優ならそのほとんどが候補者になるのではないか。取り敢えず、人気俳優の名前を記事にしておけば、「嘘から出た誠」になる可能性はあるだろう。いずれにしても、様々な噂が飛び交うのはこの人気長寿シリーズならでは。振り回されないよう非公式情報を遮断する手もあるが、嘘か事実か分からない噂を楽む余裕と忍耐が007ファンには必要かもしれない。

ダニエル・クレイグは『007/スペクター』の宣伝終了後からメディアへの露出をほとんど避けてきたが、10月7日にニューヨークで行われるイベントでは、一年近く続いた長い沈黙を破り対談に応じる予定だ。この日クレイグの口から何が飛び出すのか。『007/慰めの報酬』でM(ジュディ・デンチ)は暴走したジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)を任務から解こうとするが、最後のシーンで「戻って欲しい」と頼む。ボンドから返ってきた答えは「辞めた覚えはありません」。これこそ、クレイグ・ファンが今なによりも求めている台詞だろう。