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007次回作『Bond 25』はどうなる? シリーズの現状と展望(3)

2017年7月。満を持して初の『Bond 25』公式発表があった。2019年11月8日のアメリカ公開が決定した。ただ、配給会社は後日の発表になるという。通常は公開日を決める立場の配給会社が未決定のまま、日程が独り歩きするのは驚きだった。実際には、MGMは既に決めているのだろうと想像していたが、どうやら状況は違っていたようだ。

映画007シリーズにとって、制作会社イオン・プロダクションが守護者なら、MGMは残念ながらアキレス腱と言える。映画007シリーズの権利はイオンが半分所有しているが、もう半分を持つMGMが問題を抱え続けている。MGMは製作・配給の役目を担当しているが、売却・買収が度々続き、その経営は安定していない。

007シリーズは初期は毎年、1960年代後期からは1年おきで製作されている。しかし、そのペースが大きく乱れた時期がある。具体的な例としては、第16作公開後、第17作が公開されるまでに6年間、第20作・第21作の間と、第22作・第23作の間ではそれぞれ4年間の空白期間が生じている。いずれもMGMの経営(者)が起因で大きな影響を与えた。

海外市場の劇場配給会社もMGM側の事情でかなりの変遷を経ている。日本ではユナイト、UIP(旧CIC)、フォックス、ソニーと変わった。『Bond 25』では、また新たな配給会社が選定されそうだが、こうも会社が変わるのは007シリーズにとって大きな損失。米・英など英語圏の地域ではさほど大きな問題には見えないかもしれないが、配給会社が変わり空白期間が生じることで、情報発信が中断してしまっている。

例えば、本家公式サイトやSNSでは日常的に情報が更新されているが、日本公式は『007/スペクター』公開直後に事実上更新が止まった。これ以降、日本向けの情報提供はされていない。インターネット黎明期なら、それでも良かったかも知れない。しかし、今は日々情報を発信し続けないと、降り注ぐ他の情報の下に埋もれてしまい、忘れられてしまうのが現実。あえて飢餓感を煽る宣伝戦略でも実行しているなら話は別だが、発信したくてもできない、発信者不在・オーソリティ不在という現状があるとすれば、それは日本を含めた海外ファンにとっての不幸である。

ダニエル・クレイグ主演の007映画はこれまで4作。この全てをソニー・ピクチャーズがMGMと契約を結び、日本を含めた多くの国々で配給を担当した。同社のような海外配給網を持つ、安定感のあるメジャー・スタジオが以前から007映画の権利を所有して自社配給をしていれば、製作ペースの乱れや、情報発信の中断などの問題も起きなかったのではないか。クレイグは『Bond 25』で最後のボンド役を演じるつもりのようだが、ここはもう一度、一貫性を保つ意味でも、クレイグ=ボンド・シリーズを成功に導いてきた、経験あるソニーに配給を続けてもらいたい。

しかしMGMはそう考えていないらしい。そもそも、ソニーが4作連続で配給できたのも、MGMが一貫性を最重視した訳ではなく、途中で実施された競争入札でソニーがライバル社に競り勝った為である。他社が『007/スカイフォール』と『007/スペクター』を配給する可能性は十分にあった。収益最大化を最優先に追い求めるMGM。一企業としては当然の行動だが、扱う商品がブランド力の高いコンテンツであれば、その扱いは慎重であるべきだ。

そのMGMが次回作『Bond 25』の配給パートナーとして選ぶ会社はどこになるのか。今年報道された信憑性の高い記事が、配給権を狙っている会社の中で最有力としたのはワーナー・ブラザース。他に、ソニー、フォックス、ユニバーサルのメジャー各社とアンナプルナ・ピクチャーズも手を上げた模様。何処に決まるとしても、契約は『Bond 25』の1作のみと伝えられており、その後はMGMの意向でまた変わる可能性がある。

9月の報道では、上記に加え、アップルとアマゾンが新たに配給権争奪戦に加わったらしい。両者とも世界規模の巨大企業だが、旧来の映画会社ではない。ただ、アマゾンは数年前からアマゾン・スタジオを立ち上げ、映画などの映像コンテンツの製作・配給(配信)に乗り出している。初の単独での劇場配給作品も年末に公開が予定されており、ここで007映画がそのラインナップに加われば、一挙ホームランだ。

アップルは後塵を拝しているが、同様に映像製作に乗り出しており、ソニー・ピクチャーズのテレビ部門から経営幹部を引き抜くなどしている。現時点で、大作映画を世界規模で劇場配給する体制が整っているとは思えないが、その資金力をもってすれば、企業買収で一夜にして配給能力を抱えることになるかもしれない。

また、アップルかアマゾンが007シリーズそのものを買収し、テレビ・シリーズ化するなど、従来なかった手法を追加してその著作権をフル活用する可能性も取り沙汰されている。この両者が優良の映像コンテンツを求めている点、そして経営的に余力がある点からも、ありえない話ではない。

ただし、MGMの立場からすると、007シリーズは最大の目玉商品で、断れない程の魅力的なオファーがない限り、易々と手放すことはできないはず。ひょっとすると、アップルやアマゾンがMGM自体を買収する方が手っ取り早いかもしれない。

現在のMGMは独立企業だが、実質的には投資会社などのコントロールを受けている。歴史は繰り返すように、早晩、MGMが売却されるのは避けられない。その時、買収するのは新興勢力のアップルかアマゾンか。老舗メジャーの親会社か。ハリウッド進出を図る中国系企業か。何れにしても『Bond 25』、そしてその後に続く007映画は当面の間、MGMの経営判断に大きく左右され、波乱の歩みを続けることになるのだろう。


007次回作『Bond 25』はどうなる? シリーズの現状と展望(1)
007次回作『Bond 25』はどうなる? シリーズの現状と展望(2)

007次回作『Bond 25』はどうなる? シリーズの現状と展望(2)

長らく続いていたダニエル・クレイグのジェームズ・ボンド役去就問題が遂に片付いた。クレイグは2017年8月に出演したテレビ番組で、次回作『Bond 25』に続投しボンドをもう一度演じると明言した。

クレイグはボンド役を続けるのか辞めるのか……。彼の進退が注目を浴びるきっかけになったのは、Time Out が2015年10月に掲載したインタビュー(実施は同年7月)での「手首を切ったほうがマシ」発言だ。これは、次回作について、“今”考えるとするならばとの枕詞つきで、しばらくの間は007映画から離れていたいとの趣旨が前後の文脈から読み取れるが、この悪名高き発言は事実上の降板宣言と捉えられ独り歩きした。

その後の『007/スペクター』宣伝期間中には「まだ辞めたわけではない」などと、幾つかのインタビューで続投に前向きな発言もあったのだが、「手首」発言の衝撃はあまりにも強過ぎた。2015年末からは長期に渡って沈黙を貫いたことで、結果的にクレイグが自ら降板の噂を広める役割を果たし、疑念を深めたのは否めない。ようやく流れが変わったのは「手首」発言を明確に撤回した2016年10月からで、これ以降はクレイグが続投するとの観測が強まっていた。

そのクレイグは前述の番組の中で、最終的に続投を決めたのは2017年中頃であることを明かしている。が、それよりも遥かに前の時点で、クレイグにはボンド役を辞退する選択肢は残っていなかったかもしれない。

バーバラ・ブロッコリがクレイグの舞台をプロデュースし、イオン・プロダクションが007映画以外の映画やテレビなど様々なプロジェクトに乗り出したり、MGMが2016年初頭を予定していた配給会社の選定を順延させて、3〜4年間隔で製作する方針を打ち出したのも、ダニエル・クレイグ続投が前提の守備体制をとった影響が少なからずあったと思われる。

仮にボンド役を辞するならば、それを言い出す期限は恐らく2016年初め頃だったのではないか。007次回作は劇場収入だけで1作1千億円超の稼ぎが見込まれる一大ビジネス。仮にクレイグが今年になってから「辞める」と言った場合、その影響は計り知れず、大混乱になる。プロデューサーやMGMもクレイグ・シフトを組んで待っていた時間と労苦が無駄になってしまう。

結局、なぜ最終決断が最近まで遅れたのか。当人は、製作側との駆け引きを否定し「個人的」な問題があったとだけ語っている。家族との話し合いが必要だったのか。実際のところ外野には謎だらけだ。

ただ、“現役ボンド俳優”の座に長く留まることは本人に一定のメリットがある。スター・パワーに頼る部分も多かった初期のコネリー時代を除き、007シリーズは基本的にキャラクターの魅力で人気を牽引し成功を収めてきた。つまり、ボンド俳優はボンド役を卒業すると求心力を失ってしまい、007映画以外の主演作ではヒットに恵まれない。肩書きを保ちスポットライトを浴びた状態で『ローガン・ラッキー』や『Kings』などにも出演し、役者としての幅を広げようとするのは理にかなっている。もちろん、これをクレイグが意図していたのかは不明だ。

クレイグ去就問題は各方面に影を落としてきたが、監督の人選もその一つ。本来、監督はいち早く選びたいところ。しかし、クレイグが態度をはっきりさせない限り、監督は決められない。プロデューサーはクレイグの意向を尊重して監督を決めるからだ。もしクレイグが降板するなら、プロデューサーは先に監督を決定し、新監督と共に新しいボンド役を選ぶ流れになっていただろう。

前2作を務めたサム・メンデスは降板の意思を早くに表明した。が、007シリーズでは一旦離れた後で復帰する監督は珍しくない。メンデスがまたその力を発揮する機会は訪れるかもしれない。

現時点で新監督の名は発表されていないが、クレイグが続投を決断した後に、彼の意を汲んだ監督選びが本格化したはずだ。今年7月の業界発情報では、ヤン・ドマンジュを筆頭に、ドゥニ・ヴィルヌーヴ、デヴィッド・マッケンジーらが有力候補者として挙げられている。その後、クレイグはヴィルヌーヴを切望しているとのニュースも入った。クレイグが押すなら、制作側としてそれは無視できない。ヴィルヌーヴはスケジュール上の問題を抱えているとされているが、クレイグやプロデューサーが本当にヴィルヌーヴを求めているならば、既に公式発表された『Bond 25』の北米公開日(2019年11月8日)を延期してまで契約する可能性があるかもしれない。これには前例があり、『007/慰めの報酬』公開日は正式発表後に夏から秋へと延期となった他、『007/スペクター』はメンデス監督の都合に合わせたため、公開日を翌年に変更している。

情報としてはいささか古いが、他にこれまでメディアで報じられた『Bond 25』監督候補者は、ポール・マクギガンやスサンネ・ビアなどがいる。

スサンネ・ビアはトム・ヒドルストン主演のテレビ・シリーズ『The Night Manager』でスパイ・ファンを唸らせたデンマーク出身の女流監督。もし起用されれば007シリーズには異色の人材となるが、アカデミー賞外国語映画賞に輝いた作品の監督も手がけており、近年のドラマ畑監督を使う流れには添っている。

プロデューサーのバーバラ・ブロッコリは女性も含めた映画界の多様化を促進する運動に力を注いでおり、時期はともかく、007シリーズの監督に女性を起用する日が来てもおかしくない。そしてその未来を先取りするかの様なニュースが7月に飛び込んできた。イオン・プロダクションが女性を主人公にしたスパイ・スリラー映画『The Rhythm Section』の制作を発表。主人公ステファニー・パトリックはブレイク・ライヴリーが演じ、女流監督リード・モラーノがメガホンをとる。

現状で注目度は低いが、これは二匹目のドジョウに化ける可能性を秘めている。マーク・バーネル著の原作は4作あり、イオンは新たに女性版007としてシリーズ化を目論んでいるようだ。うまくいけば、007とステファニー・シリーズを交互にリリースさせる魂胆なのか。時間もコストもかかるロケを5カ国に渡って敢行予定とのことで、第1作から潤沢な予算を注ぎ込み、007スタッフを集結させての布陣となりそうだ。

しかし、イオンの新しい試みがうまくいくのかまだ分からない。イオン・プロダクションといえば、007シリーズの制作に特化した会社。半世紀以上の歴史と、親・子・孫の3代に渡って続くファミリー・ビジネスが特徴の、ハリウッド大作を作る独立した映画制作会社としては稀有な存在。このイオンが著作権を握りつつ、代々続くノウハウを基に専門に007映画を作り続けてきたことが、同社成功の秘訣。007シリーズ最大の功労者であったイオンのビジネスが言わば多角経営化することで、屋台骨がぐらつきはしないか。007シリーズの今後にプラスの影響を与えるのか。その行く末が注目される。


007次回作『Bond 25』はどうなる? シリーズの現状と展望(1)

私が愛したスパイ 追憶のロジャー・ムーア

映画007シリーズでジェームズ・ボンドを演じた俳優はこれまで6人。誰が一番のボンドか、ファンであれば一家言あるだろうが、雛鳥の刷込理論は007ファンにも大抵通用する。当時はロジャー・ムーアの時代で、私はロジャー・ムーア世代。初めて観たムーア作品は第10作『007/私を愛したスパイ』。映画館の大スクリーンで……と言いたいところだが、小さなブラウン管を通してだった。これが007シリーズに惹き込まるきっかけになった。

ロジャー・ムーアは引退後、『007/私を愛したスパイ』を自身作中のベストと語っている。007シリーズでプレタイトル・シークエンスが度肝を抜くアクションを本格披露するようになったのはこの作品から。雪山で美女と過ごしている最中、セイコーの腕時計に本部から指令が届く。スマート・ウォッチの先取りだが、メッセージは液晶画面でなく何故かテープとして打ち出されてくる(今から観れば完全なギャグだ)。ロッジを出たムーアの呑気にふざけたシタリ顔が笑える。

外で待ち構えていたソ連の暗殺部隊がわざわざスキー中に命を狙ってくるが、ロッジで襲えばよかったのにとか、女が酒に毒でも盛ればもっと簡単に済んだはず等、そんな邪推は不要。画面とうまくマッチさせたマーヴィン・ハムリッシュのディスコ調アレンジ『Bond 77』をBGMに逃れるムーア=ボンド。崖からジャンプしたボンドは地面に吸い込まれるように落ちていく。そして静寂の中、パラシュートがバサッと開くとスパイとしてはありえないド派手なユニオン・ジャック柄が広がり、ファンファーレのごとく『ジェームズ・ボンドのテーマ』が鳴り響き(後のロンドン五輪開会式ではエリザベス女王とダニエル・クレイグがこのシーンを見事に再現)、ムーアが一番のお気に入りだというカーリー・サイモンの『Nobody Does It Better』が流れる。

中盤の見所はカー・チェイス。ロジャー・ムーアの運転する白いロータス・エスプリがバイク、車、そしてヘリコプターの追撃を受ける。ヘリを操るのは敵ボスのお色気担当秘書ナオミ。大きな瞳をウインクさせると、ムーア=ボンドは首を傾ける会釈で応える。命を狙われている最中でも、シリアスさを中和するクッション的なカットが挿入される。

元祖であり教祖でもあるショーン・コネリーからシリーズに入った古くからの007信者にとっては、ロジャー・ムーア版はコミカル過ぎて、その耐えられない軽さに批判が集中した。ムーアもそれは重々承知で、こう反論している。世界中に顔や名前が知られたスパイなんているのかと。つまり007シリーズは初めから虚構の世界。リアリズムを追求するほど誰も観に来ない地味な映画になる。だったら開き直って娯楽の道を徹底追求しようと考えた。

サブマリン・モードのロータス・エスプリが海面から姿を現し、ムーアが魚をつまみ出す場面がある。防水仕様のエスプリに魚が入り込む隙間はなく、本来は辻褄が合わない。変だと文句をつけたプロデューサーに、ムーアはこの方が「映画らしい」と主張。結局、魚なしと有りの2バージョンの試写が行われ、笑いをとった後者が採用された。どうすれば観客がもっと喜んでくれるか。そう考え続けた上に出した答えがムーア版007映画として出来あがった訳だ。

ロジャー・ムーア版007映画がコミカルで軽くなった理由は、まだある。それはムーア自身がユーモア好きでコミカルな人物だったからだ。台本は本人の性格を反映している。本番でわざとズボンをずり落としてみせたり、脚本を書き換えて共演者にニセの台詞を言わせたり……。彼のいたずら好きは有名で、スタッフも用心するようになったが、場を和ませようというムーアの配慮があった。ムーアほど「素」で演じる、裏表のないハリウッド・スターは珍しかったのではないだろうか。ある意味、ロジャー・ムーアは007映画の中でもロジャー・ムーアを演じていたのかもしれない。

そして人格者としても知られるロジャー・ムーア。007シリーズ勇退後は亡くなるまでの26年間、ユニセフ親善大使を務めた。無償で世界の子供達を訪ね続けた。ジェームズ・ボンドを演じていた頃、現実世界の問題から目を背けていた自分に気がついたという。007映画の撮影でスターとして滞在したロケ地に親善大使の立場で再訪問。同じ街にも光と陰がある現実を知る。一人ひとりの世話を直接することはもちろんできないが、ボンド俳優としての知名度を活用。世界に子供への支援の必要性を訴えかけた。映画の中では人類を大量殺戮の危機から救っていたが、現実の世界でも苦しむ子供たちを助けるヒーローだった。

大英帝国勲章KBEを女王陛下から授かり、「サー」の称号を得たのもこの人道活動が評価された結果だ。ユニセフ活動のきっかけは友人からの誘いだったが、思いやりの心は彼の幼少時代にルーツがある。ある時、ロジャーの母がこう言った。「靴が無いと私は泣いていた……足の無い人に会うまでは」。自分への戒めと他者への慈愛はこうした家庭環境で育まれたのだろう。

初めてロジャー・ムーアに会えたのも、ユニセフが主催したチャリティー・ディナー。少年だった私は既に中年。しかし、目の前に姿を現したロジャー・ムーアはあの『007/私を愛したスパイ』と同じくダブルのタキシードを着こなしていた。正に映画の中のジェームズ・ボンドそのままだった。

途中でゲストのシャーリー・バッシーが立ち上がり一曲披露。ムーアはその後、出席者にユニセフへの協力を訴えた。回される募金箱に皆それなりの金額を入れていたが、ここで困ってしまった。現金の持ち合わせがほとんどなかった。鞄を紛失するというトラブルのおかげで、タキシードに財布を入れないまま慌てて会場へ向かってしまったのだ。ムーア直々のリクエストに応えられなかったのは残念でならない。

ディナー中には競売もあり、やはりゲスト参加のブロッコリ・ファミリーがパインウッドでの007映画撮影見学の権利などを出品していた。財布があったとしても、ここで全額使ってしまい、寄付どころではなくなっていたかもしれない。

宴は夜遅くにお開きとなったが、ロジャー・ムーアはまだ会場の片隅に残っていた。他のゲストはいなくなり、スタッフが後片付けを始めていたが、二人のおしゃべりなファンにつかまってしまい、長々と立ち話していたのだ。既にそれなりの年齢で、体力的にもキツかったはず。嫌な顔もせず真摯にファン対応する紳士。これこそ、私が愛したスパイ。彼らの話が終わるのを待っていたが、あまりの長話に耐えきれず、無礼を詫びつつ割り込んでロジャー・ムーアに話しかけた。短い挨拶だけだったが、最後に「Thank you very much」と言ってもらえたのは、今でも良き想い出である。

007次回作『Bond 25』はどうなる? シリーズの現状と展望(1)

『007/スペクター』の英国公開から間もなく一年。今ここで007シリーズが置かれている現状を整理し、その今後も占って見たい。

この一年、メディアを賑わせてきたのは、シリーズ次回作『Bond 25』(第25作)でジェームズ・ボンドを演じる俳優が誰になるのかという話題。事の発端は Time Out が掲載したインタビュー記事だった。これまで4作でボンド役を演じてきたダニエル・クレイグが、次回作のことを今考えるのなら「手首を切ったほうがマシだ」と発言。これが事実上の降板表明と捉えられ、次のボンド役は誰なのかと騒がれ始めた。この発言は果たしてどこまでがクレイグの本心だったのか。本人のみぞ知るところだが(或いは自身でも分からなくなっていたのか…)、共演者も擁護していたように、心身ともに疲れ切った長期間に及ぶ撮影が終了した直後のインタビューであり、当時は頭を空にして休息したいという思いが支配的だったのだろう。

プロデューサーがダニエル・クレイグ続投を望む声は直接何度もメディアに取り上げられてきているものの、クレイグは前述の発言から一年を過ぎた今もボンド役を続投するか降板するのか態度を表明していないが、それは何故か(2015年の時点でクレイグはもう1作の出演契約が残っていることを語っていたのだが、2016年に入ったプロデューサー、マイケル・G・ウィルソンはクレイグとの契約はないと発言した。『Bond 25』のオプション契約が2015年内で期限切れになり、仕切り直しが必要となった可能性がある)。クレイグと制作側は良好な関係を継続していた模様で、クレイグが契約条件を釣り上げるため、サインを先延ばしにしているとは考えにくい。クレイグは降板の決意を早期に制作側へ伝えたが、引き留めたいプロデューサーらが説得に時間をかけてクレイグの心変わりを待っているのだろうか。

クレイグがもし既に降板を決めたすれば、その原因は「家族」かもしれない。クレイグの妻で女優のレイチェル・ワイズがボンド役に難色を示していることが伝えられている。クレイグは映画『ミケランジェロ・プロジェクト』をワイズの意向で降りたことが以前明らかとなったが、より大規模な007映画の撮影は約半年間。プリプロダクションやプロモーションも含めると、束縛期間は世界各地で長期に及ぶ。クレイグはワイズの映画撮影時、海外のロケ地へ出向いて幾度となく付き添っているが、二人の時間を重視する夫妻にとって、007映画への出演は大きな「障害」と言えなくもない。『007/スペクター』ではクレイグが足を負傷し手術を受けた。50歳近いクレイグがアクション映画に出演することへの不安も妻にはあるようだ。

ダニエル・クレイグがボンド役を辞めたとして、誰が七代目ジェームズ・ボンドを襲名するのか。これまでに有力候補者として挙げられているのは、トム・ヒドルストンやエイダン・ターナーら。留意すべきは、現状で時期ボンド役候補者について名前を具体的に報じているのは、タブロイド紙である点。自ずとその信憑性には疑問符が付く。一般メディアでもニュースとして取り上げているが、これらは基本的にタブロイドの後追い記事に過ぎない。クレイグに2作6800万ポンドの続投オファーと報じ話題を振りまいた件も、出所は英タブロイドの Daily Mail。同紙は一時期007映画に関して精度の高い独占スクープを量産していたが、当該記事は実績ある記者とは別人が書いたものだ。とは言え、タブロイド発の嘘のように思えるニュースが実は事実だった、ということもある。クレイグを選出した『007/カジノ・ロワイヤル』ではボンド役候補者リストに200人の俳優の名が連なっていたという。イギリスで活躍する30代男優ならそのほとんどが候補者になるのではないか。取り敢えず、人気俳優の名前を記事にしておけば、「嘘から出た誠」になる可能性はあるだろう。いずれにしても、様々な噂が飛び交うのはこの人気長寿シリーズならでは。振り回されないよう非公式情報を遮断する手もあるが、嘘か事実か分からない噂を楽む余裕と忍耐が007ファンには必要かもしれない。

ダニエル・クレイグは『007/スペクター』の宣伝終了後からメディアへの露出をほとんど避けてきたが、10月7日にニューヨークで行われるイベントでは、一年近く続いた長い沈黙を破り対談に応じる予定だ。この日クレイグの口から何が飛び出すのか。『007/慰めの報酬』でM(ジュディ・デンチ)は暴走したジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)を任務から解こうとするが、最後のシーンで「戻って欲しい」と頼む。ボンドから返ってきた答えは「辞めた覚えはありません」。これこそ、クレイグ・ファンが今なによりも求めている台詞だろう。