タグ別アーカイブ: 訃報

リッキー・ジェイさん死去 『007/トゥモロー・ネバー・ダイ』に出演

Variety(2018年11月24日付)によると、アメリカのマジシャンで俳優としても活躍したリッキー・ジェイさんが11月24日、病気のためロサンゼルスで亡くなりました。72歳でした。

リッキー・ジェイさんは1997年公開の映画『007/トゥモロー・ネバー・ダイ』に出演、テロリストのヘンリー・グプタを演じました。マジックの知識と経験を活かし、『プレステージ』(2006)、『幻影師アイゼンハイム』(2006)、『オーシャンズ13』(2007)などの映画では、スタッフとしても協力したそうです。

ユーニス・ゲイソンさん死去 007シリーズ初登場のボンド・ガール

BBC(2018年6月9日付)によると、英国女優のユーニス・ゲイソンさんが6月8日、亡くなりました。90歳でした。

ゲイソンさんは映画007シリーズ第1作『007/ドクター・ノオ』(1962)のシルヴィア・トレンチ役。ショーン・コネリーの演じるジェームズ・ボンドがその姿を初披露し「ボンド、ジェームズ・ボンド」と自己紹介するカジノ・シーンで登場。これは、恋仲となるボンド・ガールがスクリーンに初めて姿を見せた場面ともなりました。ゲイソンさんは続く第2作『007/ロシアより愛をこめて』(1963)でも同じ役柄でコネリーと共演しています。

スーン=テック・オーさん死去 『007/黄金銃を持つ男』に出演

The Hollywood Reporter(2018年4月7日付)によると、俳優のスーン=テック・オーさんが4月4日、ロサンゼルスで亡くなりました。85歳でした。

スーン=テック・オーさんは1932年、日本統治下の朝鮮(現在の韓国)生まれ。アメリカへ移住後、同国で俳優としてのキャリアを構築。007シリーズ第9作『007/黄金銃を持つ男』(1974)には、ヒップ中尉役でジェームズ・ボンドを演じるロジャー・ムーアと共演しています。

その他の主な出演作には、『ファイナル・カウントダウン』(1980)、『チャック・ノリスの地獄のヒーロー2』(1985)、『バトルガンM-16』(1987)、『ビバリーヒルズ・ニンジャ』(1997)などがあります。

ルイス・ギルバートさん死去 007映画3作の監督

BBC(2018年2月27日付)によると、イギリスの映画監督ルイス・ギルバートさんが2月23日、モナコで亡くなりました。97歳でした。

ルイス・ギルバートさんは1920年ロンドン生まれで、幼少から俳優として活躍。

作品賞など5部門でアカデミー賞ノミネートを受けた『アルフィー』(1966)を監督した後、ショーン・コネリー主演『007は二度死ぬ』(1967)の監督に抜擢され、日本ロケを大々的に敢行。その後はロジャー・ムーアがボンドを演じた『007/私を愛したスパイ』(1977)と『007/ムーンレイカー』(1979)も監督しました。

他の代表作には『リタと大学教授』(1983)や『旅する女/シャーリー・バレンタイン』(1989)などがあり、日本を舞台にした『Seven Nights in Japan』(1976)も手がけました。

幻のボンド俳優 ジョン・ギャヴィンさん死去

Variety(2018年2月9日付)によると、ロサンゼルス出身の米俳優ジョン・ギャヴィンさんがビバリーヒルズで2月9日、亡くなりました。86歳でした。

ジョン・ギャヴィンさんの代表的な映画出演作として『サイコ』(1960)や『スパルタカス』(同)などがあり、1980年代にはメキシコへの大使としても活躍しました。

また、ジョージ・レーゼンビーのボンド役降板後、ジョン・ギャヴィンさんは007プロデューサーのアルバート・R・ブロッコリからの支持を受け、新ボンドとして『007/ダイヤモンドは永遠に』(1971)の出演契約を結んだことでも知られています。しかしこの決定はユナイテッド・アーチスツ社長の反対を受け、結果的に007シリーズを引退していたショーン・コネリーが再登板。

この結果、ギャヴィンさんはボンド役を演じられなくなりましたが、ギャラは契約通り全額支払われることに。『007/ダイヤモンドは永遠に』のテレビ放映などから発生するロイヤルティも生涯受け取り続けていたようです。

また、コネリーが『007/ダイヤモンドは永遠に』で再びボンド役を降板した際にも、ブロッコリは『007/死ぬのは奴らだ』(1973)の新ボンド俳優にギャヴィンさんを一時期検討していました。

カリン・ドールさん死去 『007は二度死ぬ』のボンド・ガール

The Hollywood Reporter(2017年11月8日付)によると、ドイツ女優のカリン・ドールさんが11月6日、ミュンヘンで亡くなりました。79歳でした。

ドールさんは1967年の映画『007は二度死ぬ』に出演。ボンドの敵となるスペクターのメンバー、ヘルガ・ブラントを演じました。

バーニー・ケイシーさん死去 『ネバーセイ・ネバーアゲイン』フェリックス・ライター役

The Hollywood Reporter(2017年9月20日付)によると、アメリカ人俳優のバーニー・ケイシーさんが9月19日、ロサンゼルスの病院で亡くなりました。78歳でした。

バーニー・ケイシーさんは1939年、米ウエスト・ヴァージニア州生まれ。アメリカン・フットボールの選手として活躍後、映画界へ入り俳優に転身。

ショーン・コネリー主演の007映画『ネバーセイ・ネバーアゲイン』(1983)には、CIAエージェントのフェリックス・ライターとして出演しました。

ジョー・ロビンソンさん死去 『007/ダイヤモンドは永遠に』出演

Daily Mail Online(2017年7月12日付)によると、英国俳優のジョー(ジョゼフ)・ロビンソンさんが7月3日、イギリスのブライトンで亡くなりました。90歳でした。

柔道家・空手家であり、「タイガー・ジョー」としてレスリング界でも活躍したロビンソンさん。映画界ではスタントと俳優を兼任。『007/ゴールドフィンガー』(1964)ではオナー・ブラックマンに空手や柔道の指導も担当。

『007/ダイヤモンドは永遠に』(1971)では、ピーター・フランクス役で出演。ショーン・コネリーが演じるジェームズ・ボンドとエレベーター内で格闘するシーンに登場しました。

モリー・ピーターズさん死去 『007/サンダーボール作戦』ボンド・ガール

映画007シリーズ公式ツイッター(2017年5月30日付)によると英国女優のモリー・ピーターズさんが亡くなりました。75歳でした。

モリー・ピーターズさんは『007/サンダーボール作戦』(1965)に出演。ジェームズ・ボンド(ショーン・コネリー)が訪れるクリニックのスタッフ、パトリシア・フィアリング役を演じました。

私が愛したスパイ 追憶のロジャー・ムーア

映画007シリーズでジェームズ・ボンドを演じた俳優はこれまで6人。誰が一番のボンドか、ファンであれば一家言あるだろうが、雛鳥の刷込理論は007ファンにも大抵通用する。当時はロジャー・ムーアの時代で、私はロジャー・ムーア世代。初めて観たムーア作品は第10作『007/私を愛したスパイ』。映画館の大スクリーンで……と言いたいところだが、小さなブラウン管を通してだった。これが007シリーズに惹き込まるきっかけになった。

ロジャー・ムーアは引退後、『007/私を愛したスパイ』を自身作中のベストと語っている。007シリーズでプレタイトル・シークエンスが度肝を抜くアクションを本格披露するようになったのはこの作品から。雪山で美女と過ごしている最中、セイコーの腕時計に本部から指令が届く。スマート・ウォッチの先取りだが、メッセージは液晶画面でなく何故かテープとして打ち出されてくる(今から観れば完全なギャグだ)。ロッジを出たムーアの呑気にふざけたシタリ顔が笑える。

外で待ち構えていたソ連の暗殺部隊がわざわざスキー中に命を狙ってくるが、ロッジで襲えばよかったのにとか、女が酒に毒でも盛ればもっと簡単に済んだはず等、そんな邪推は不要。画面とうまくマッチさせたマーヴィン・ハムリッシュのディスコ調アレンジ『Bond 77』をBGMに逃れるムーア=ボンド。崖からジャンプしたボンドは地面に吸い込まれるように落ちていく。そして静寂の中、パラシュートがバサッと開くとスパイとしてはありえないド派手なユニオン・ジャック柄が広がり、ファンファーレのごとく『ジェームズ・ボンドのテーマ』が鳴り響き(後のロンドン五輪開会式ではエリザベス女王とダニエル・クレイグがこのシーンを見事に再現)、ムーアが一番のお気に入りだというカーリー・サイモンの『Nobody Does It Better』が流れる。

中盤の見所はカー・チェイス。ロジャー・ムーアの運転する白いロータス・エスプリがバイク、車、そしてヘリコプターの追撃を受ける。ヘリを操るのは敵ボスのお色気担当秘書ナオミ。大きな瞳をウインクさせると、ムーア=ボンドは首を傾ける会釈で応える。命を狙われている最中でも、シリアスさを中和するクッション的なカットが挿入される。

元祖であり教祖でもあるショーン・コネリーからシリーズに入った古くからの007信者にとっては、ロジャー・ムーア版はコミカル過ぎて、その耐えられない軽さに批判が集中した。ムーアもそれは重々承知で、こう反論している。世界中に顔や名前が知られたスパイなんているのかと。つまり007シリーズは初めから虚構の世界。リアリズムを追求するほど誰も観に来ない地味な映画になる。だったら開き直って娯楽の道を徹底追求しようと考えた。

サブマリン・モードのロータス・エスプリが海面から姿を現し、ムーアが魚をつまみ出す場面がある。防水仕様のエスプリに魚が入り込む隙間はなく、本来は辻褄が合わない。変だと文句をつけたプロデューサーに、ムーアはこの方が「映画らしい」と主張。結局、魚なしと有りの2バージョンの試写が行われ、笑いをとった後者が採用された。どうすれば観客がもっと喜んでくれるか。そう考え続けた上に出した答えがムーア版007映画として出来あがった訳だ。

ロジャー・ムーア版007映画がコミカルで軽くなった理由は、まだある。それはムーア自身がユーモア好きでコミカルな人物だったからだ。台本は本人の性格を反映している。本番でわざとズボンをずり落としてみせたり、脚本を書き換えて共演者にニセの台詞を言わせたり……。彼のいたずら好きは有名で、スタッフも用心するようになったが、場を和ませようというムーアの配慮があった。ムーアほど「素」で演じる、裏表のないハリウッド・スターは珍しかったのではないだろうか。ある意味、ロジャー・ムーアは007映画の中でもロジャー・ムーアを演じていたのかもしれない。

そして人格者としても知られるロジャー・ムーア。007シリーズ勇退後は亡くなるまでの26年間、ユニセフ親善大使を務めた。無償で世界の子供達を訪ね続けた。ジェームズ・ボンドを演じていた頃、現実世界の問題から目を背けていた自分に気がついたという。007映画の撮影でスターとして滞在したロケ地に親善大使の立場で再訪問。同じ街にも光と陰がある現実を知る。一人ひとりの世話を直接することはもちろんできないが、ボンド俳優としての知名度を活用。世界に子供への支援の必要性を訴えかけた。映画の中では人類を大量殺戮の危機から救っていたが、現実の世界でも苦しむ子供たちを助けるヒーローだった。

大英帝国勲章KBEを女王陛下から授かり、「サー」の称号を得たのもこの人道活動が評価された結果だ。ユニセフ活動のきっかけは友人からの誘いだったが、思いやりの心は彼の幼少時代にルーツがある。ある時、ロジャーの母がこう言った。「靴が無いと私は泣いていた……足の無い人に会うまでは」。自分への戒めと他者への慈愛はこうした家庭環境で育まれたのだろう。

初めてロジャー・ムーアに会えたのも、ユニセフが主催したチャリティー・ディナー。少年だった私は既に中年。しかし、目の前に姿を現したロジャー・ムーアはあの『007/私を愛したスパイ』と同じくダブルのタキシードを着こなしていた。正に映画の中のジェームズ・ボンドそのままだった。

途中でゲストのシャーリー・バッシーが立ち上がり一曲披露。ムーアはその後、出席者にユニセフへの協力を訴えた。回される募金箱に皆それなりの金額を入れていたが、ここで困ってしまった。現金の持ち合わせがほとんどなかった。鞄を紛失するというトラブルのおかげで、タキシードに財布を入れないまま慌てて会場へ向かってしまったのだ。ムーア直々のリクエストに応えられなかったのは残念でならない。

ディナー中には競売もあり、やはりゲスト参加のブロッコリ・ファミリーがパインウッドでの007映画撮影見学の権利などを出品していた。財布があったとしても、ここで全額使ってしまい、寄付どころではなくなっていたかもしれない。

宴は夜遅くにお開きとなったが、ロジャー・ムーアはまだ会場の片隅に残っていた。他のゲストはいなくなり、スタッフが後片付けを始めていたが、二人のおしゃべりなファンにつかまってしまい、長々と立ち話していたのだ。既にそれなりの年齢で、体力的にもキツかったはず。嫌な顔もせず真摯にファン対応する紳士。これこそ、私が愛したスパイ。彼らの話が終わるのを待っていたが、あまりの長話に耐えきれず、無礼を詫びつつ割り込んでロジャー・ムーアに話しかけた。短い挨拶だけだったが、最後に「Thank you very much」と言ってもらえたのは、今でも良き想い出である。